物語は終わりに向かって進めていきたい感じ。
おおよそ2年ぶりの更新ですね。当時読んでた人はもう誰もいないだろうな・・・w
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私――何の変哲もない女の子、詩乃は、机の横に山と積まれた分厚い本の山に一瞥をくれて、時計の針が重なるのを確認してベッドに入ることにした。
読みかけの本は愛おしくあっても、読み終えた本に用はないのだ。物語の中だとしても、同じ時は二度と流れることはない。私はそう思う。ならば私もその一度きりの物語を一度きりとして扱い、読み切ってみせよう。そう思い、そのようにし始めたのはいつごろからだろうか・・・。
常のごとく、私は自分の無駄な思考を嗤う。天蓋付きの大きなベッドの支柱を撫でながら、私は夢に落ちて行く。意識が途切れる寸前、カーテンを引いて、現実と夢の境界線を作りだした。
「今日は、どんな夢かな」
私の夢は、レム睡眠もノンレム睡眠も関係ない。いつも同じ場所に降り立ち、同じ人と出会い、同じ空を見上げる。しかし、夢の中ですることは毎回違う。そして時間も流れる。木々も人々も、時を見せてくれる。なぜならこれは終わりない物語。一度きりを永遠に続ける夢なのだから。
いつもの噴水のベンチに、私は座っていた。眠りに落ちてからベンチに到着するまでは、あっという間どころか、人間には感知できないほどの一瞬だ。
そして私がベンチに現れるなり、飛びついてくる柔らかい感触。
「詩乃ー!やっほ!」
「わ、ちょっ、落ちる、ベンチから落ちるからやめ、あっ」
抱きつかれた反動で私はベンチから転げ落ちた。抱きついてきた女の子――琴夢がとっさに回してくれた腕にかばわれて、頭だけは石畳にぶつけなくて済んだ。
「ごめんごめん」
てへへと笑う琴夢は、黄がかった翠の髪をふわりと揺らしながら私を立ち上がらせてくれる。抱きつかれて始まる夢はよくあれど、ベンチから転げ落ちることはなかなかなかった。
「琴夢、ちょっとはしゃぎすぎだよ」
ちょっとむくれて言ってやる。
一瞬の間があって、私たちはどちらからともなく笑い出した。
「今日は何をしようか」
「そうねぇ・・・」
決定権は私にある。とはいえお互いが納得することしかしない私は、いつも琴夢に意見を求めてしまうのだった。
「どうしよ」
「どうしよ、じゃないわよ、今日は詩乃が何するか決める日でしょ」
諭すように言われて、まあその通りだからうなずくしかない。
私はたっぷり時間をかけて、結論を出した。
「図書館、いこ?」
琴夢が良い感じにコケた。
ふわぁぁー・・・と、あくびが館内にこだまする。聞こえるものなんて受付で交わされるぼそぼそした事務的な会話と、時折鳴る足音くらいのものなので、琴夢の場違いなあくびはことさら目立ってしまっていた。
都心にある有名な・・・なんとかドームに匹敵する大きさの図書館に、私たちは来ている。歩く図書館と呼ばれたこともある私だが、現実側にこんな大きな図書館はないし、あったとしても行かないので、たまに来れるこの図書館が好きだった。
構造は、3階建て。と言っても地上部分は2階までしかなく、膨大すぎる蔵書を良好な状態で保管しつつ閲覧もできるように空調が完璧に整備された地下がある。私は琴夢を引き連れて地下に入り、物凄くつまらなさそうな琴夢をほったらかしにして蔵書漁りに熱中していた。この棚を見始めてそろそろ30分近いだろうか・・・。
「ねぇ詩乃~、私2階のラウンジにいてもいーいー?」
思ったよりは粘ったほう、だったかな。予想では入った瞬間Uターンする感じだったのだけど。
私は少し笑いながら、けれども、
「だめー。もう少し付き合ってよ、すぐ終わるから」
なんて言ってしまうのだった。普段琴夢のペースに乗せられてばっかりなので、こういう場面は貴重なのだ。
「あー・・・うー・・・」
琴夢はなんだか干されたみたいに薄っぺらい存在感を放ちながら、くねくねしていた。
ちゅー。コップはいっこ。ストローは二本。
「あー、生き返るわー」
琴夢はストローから口を離して、一息ついたようだった。
私はと言うと、持ってきた数冊の本を順繰りに消化している最中だ。持ってきた本の数は、テーブルがたわみそうなくらい。持って帰れるわけではないので、琴夢の言葉に耳を傾けている暇は無かった。
「・・・つまらん」
琴夢がつぶやく。私は黙々とページをめくる。
速読術を身につけているので・・・というか、読んでいるうちに勝手についただけだが、たかが数百ページの本なら1時間もあれば読み終わる。日は傾きかけているが、本の山はすでに読み終えた山のほうが高くなっていた。
「詩乃ー」
「なぁに?」
呼ばれたので一応反応しとく。
「いつ終わんのよ」
「・・・」
私は、最後のページをめくって、バタンと本を閉じた。
「全部読み終わったら終わるよ」
「そうじゃなくてさー」
次の本を手に取る。私が読む本は全て900番台・・・要するに文学書だ。
「っていうか詩乃、読むの速すぎじゃない?頭に入ってるの?」
「一冊一冊のストーリーと盛り上がりどころ、言っていけばいい?」
私はページをめくりながら喋る。すでに十数ページ分が私の頭の養分になっていた。
「いや、私活字苦手だしいいわ・・・」
琴夢が嫌々するように手を突き出して振る。
ちゅー・・・ごろごろごろ。琴夢がジュースを飲みほした。
暇を持て余した琴夢は、さまざまないたずらを仕掛けた。
まず、髪を梳かれた。気持ちよかったので放っておいた。
次に、梳いた髪を束ねられた。たまに引っ張られて痛かったけど、これも放っておいた。後で確認したら、自己評価似合わない髪型ナンバーワンのツインテールにされていたのはびっくりしたが。
さらけ出された首筋に息を吹きかけられたり、いつも首から下げている真鍮の懐中時計を上下させられたり。いたずらは多岐に及んだ。
「・・・詩乃、本を読んでる間って何しても反応しないの・・・?」
「だって読むほうが大事だもん」
おくびも無く。
「し、詩乃・・・私より、本のほうが大事だって言うのねーっ!もう知らないわ!」
琴夢は大げさに髪をひるがえしながらくるくる回って、床に倒れ込んだ。
「別次元だよ、琴夢も大事だけど本も大事なの」
そのまま琴夢はめそめそしはじめた。
私は本を受け付けに返却して、琴夢の手を引いて図書館を出た。
「ねぇ、詩乃?」
「んー?」
噴水広場への帰り道。
「いつもあんな分厚い本を読んでるの?」
「そうだね、起きてるときも本を読んでばっかり、かなー」
「・・・詩乃ってさ」
琴夢が歩みを止める。手を引いていた私は、琴夢が歩かなくなったことで立ち止まらざるを得なくなった。そして琴夢が私の前に回り込んで来る。
「詩乃はさ、本と人と、どっちが大事なの?」
「え、だからさっき、別次元だって・・・」
琴夢は大仰に手を広げて語りかけ始めた。
「好きなのはいいけどさ・・・没頭しすぎだよ・・・?」
そして、次の一言は私を突き刺すものだった。
「詩乃、友達、ちゃんといるの?」
世界が止まった。
「琴夢には、関係ないでしょ・・・・ッ」
言葉の端に異様に力が入ってしまい、琴夢が一瞬おびえた顔をした。
一瞬。ほんの、一瞬でも、こんなに感情を出したのは、いつぶりだろう・・・。
「ご、ごめん・・・」
さっきまでの説教姿勢はどこかに飛んで、琴夢の顔には申し訳なさばかりが浮かんでいた。
「私こそ、ごめん。琴夢を蔑にしすぎたのは、謝らなきゃ」
「・・・うん」
変な空気になって、私たちはまた歩きだす。鉛の靴を履いているかのように、足が重かったが、逆に一刻も早く夢から覚めたいような感覚もあった。
喋るだけならば、StarlightCoffeeなんかより、ベンチのほうが落ちつくのが私たちだ。ざばざばと水が流れ落ちる音にかき消されないように、少し大きな声で話さなければいけないのが面倒ではあるが。
「琴夢、今日はありがとね」
「ん、なんで?私なんかダダ捏ねてばっかりだったのに」
「それでも、だよ」
私にも、多少は後悔の念があった。
「わがままを謝ったら、次はお礼。そうじゃない?」
あ、いけない。涙がこぼれる。
私たちはどちらからともなく、抱き合って、少しばかりの涙を流した。
昔は、私たちが子どもだったころは、よくあることだった。今でこそ喧嘩なんてしなくなったけど、昔は行き先決めですら喧嘩に発展することが多かったのだから。
「もう、時間だね」
琴夢が私の懐中時計を勝手に開いて、時間を確認していた。
「あれ」
当然ながら、ふたの裏側にこっそり貼っていた写真が琴夢にも見えてしまう。
「詩乃ったらさ、こんな昔の写真貼っちゃって・・・」
琴夢がくすくすと笑う。もう10年以上前の写真が、そこには貼ってあるのだ。
「笑わないでよ、もう」
でも、この笑いは心地よかった。
天蓋付きベッドで、私は目を覚ました。
そのままカーテンを少し乱暴に開けて、靴を履いて、机に直進する。
夢日記を開いて、私はしばらく前と同じように、ペンで殴りつけるように日記に夢を記していく。
抑えつけられないほどの感情が湧きあがるなど、滅多にないことなのだ。苛立ちを隠せず、日記は数ページがぼろぼろになって使いものにならなくなってしまっていた。
日記いじめに飽きて時計を見る。
時計の長針は、100°ほどを指していた。
読みかけの本は愛おしくあっても、読み終えた本に用はないのだ。物語の中だとしても、同じ時は二度と流れることはない。私はそう思う。ならば私もその一度きりの物語を一度きりとして扱い、読み切ってみせよう。そう思い、そのようにし始めたのはいつごろからだろうか・・・。
常のごとく、私は自分の無駄な思考を嗤う。天蓋付きの大きなベッドの支柱を撫でながら、私は夢に落ちて行く。意識が途切れる寸前、カーテンを引いて、現実と夢の境界線を作りだした。
「今日は、どんな夢かな」
私の夢は、レム睡眠もノンレム睡眠も関係ない。いつも同じ場所に降り立ち、同じ人と出会い、同じ空を見上げる。しかし、夢の中ですることは毎回違う。そして時間も流れる。木々も人々も、時を見せてくれる。なぜならこれは終わりない物語。一度きりを永遠に続ける夢なのだから。
いつもの噴水のベンチに、私は座っていた。眠りに落ちてからベンチに到着するまでは、あっという間どころか、人間には感知できないほどの一瞬だ。
そして私がベンチに現れるなり、飛びついてくる柔らかい感触。
「詩乃ー!やっほ!」
「わ、ちょっ、落ちる、ベンチから落ちるからやめ、あっ」
抱きつかれた反動で私はベンチから転げ落ちた。抱きついてきた女の子――琴夢がとっさに回してくれた腕にかばわれて、頭だけは石畳にぶつけなくて済んだ。
「ごめんごめん」
てへへと笑う琴夢は、黄がかった翠の髪をふわりと揺らしながら私を立ち上がらせてくれる。抱きつかれて始まる夢はよくあれど、ベンチから転げ落ちることはなかなかなかった。
「琴夢、ちょっとはしゃぎすぎだよ」
ちょっとむくれて言ってやる。
一瞬の間があって、私たちはどちらからともなく笑い出した。
「今日は何をしようか」
「そうねぇ・・・」
決定権は私にある。とはいえお互いが納得することしかしない私は、いつも琴夢に意見を求めてしまうのだった。
「どうしよ」
「どうしよ、じゃないわよ、今日は詩乃が何するか決める日でしょ」
諭すように言われて、まあその通りだからうなずくしかない。
私はたっぷり時間をかけて、結論を出した。
「図書館、いこ?」
琴夢が良い感じにコケた。
ふわぁぁー・・・と、あくびが館内にこだまする。聞こえるものなんて受付で交わされるぼそぼそした事務的な会話と、時折鳴る足音くらいのものなので、琴夢の場違いなあくびはことさら目立ってしまっていた。
都心にある有名な・・・なんとかドームに匹敵する大きさの図書館に、私たちは来ている。歩く図書館と呼ばれたこともある私だが、現実側にこんな大きな図書館はないし、あったとしても行かないので、たまに来れるこの図書館が好きだった。
構造は、3階建て。と言っても地上部分は2階までしかなく、膨大すぎる蔵書を良好な状態で保管しつつ閲覧もできるように空調が完璧に整備された地下がある。私は琴夢を引き連れて地下に入り、物凄くつまらなさそうな琴夢をほったらかしにして蔵書漁りに熱中していた。この棚を見始めてそろそろ30分近いだろうか・・・。
「ねぇ詩乃~、私2階のラウンジにいてもいーいー?」
思ったよりは粘ったほう、だったかな。予想では入った瞬間Uターンする感じだったのだけど。
私は少し笑いながら、けれども、
「だめー。もう少し付き合ってよ、すぐ終わるから」
なんて言ってしまうのだった。普段琴夢のペースに乗せられてばっかりなので、こういう場面は貴重なのだ。
「あー・・・うー・・・」
琴夢はなんだか干されたみたいに薄っぺらい存在感を放ちながら、くねくねしていた。
ちゅー。コップはいっこ。ストローは二本。
「あー、生き返るわー」
琴夢はストローから口を離して、一息ついたようだった。
私はと言うと、持ってきた数冊の本を順繰りに消化している最中だ。持ってきた本の数は、テーブルがたわみそうなくらい。持って帰れるわけではないので、琴夢の言葉に耳を傾けている暇は無かった。
「・・・つまらん」
琴夢がつぶやく。私は黙々とページをめくる。
速読術を身につけているので・・・というか、読んでいるうちに勝手についただけだが、たかが数百ページの本なら1時間もあれば読み終わる。日は傾きかけているが、本の山はすでに読み終えた山のほうが高くなっていた。
「詩乃ー」
「なぁに?」
呼ばれたので一応反応しとく。
「いつ終わんのよ」
「・・・」
私は、最後のページをめくって、バタンと本を閉じた。
「全部読み終わったら終わるよ」
「そうじゃなくてさー」
次の本を手に取る。私が読む本は全て900番台・・・要するに文学書だ。
「っていうか詩乃、読むの速すぎじゃない?頭に入ってるの?」
「一冊一冊のストーリーと盛り上がりどころ、言っていけばいい?」
私はページをめくりながら喋る。すでに十数ページ分が私の頭の養分になっていた。
「いや、私活字苦手だしいいわ・・・」
琴夢が嫌々するように手を突き出して振る。
ちゅー・・・ごろごろごろ。琴夢がジュースを飲みほした。
暇を持て余した琴夢は、さまざまないたずらを仕掛けた。
まず、髪を梳かれた。気持ちよかったので放っておいた。
次に、梳いた髪を束ねられた。たまに引っ張られて痛かったけど、これも放っておいた。後で確認したら、自己評価似合わない髪型ナンバーワンのツインテールにされていたのはびっくりしたが。
さらけ出された首筋に息を吹きかけられたり、いつも首から下げている真鍮の懐中時計を上下させられたり。いたずらは多岐に及んだ。
「・・・詩乃、本を読んでる間って何しても反応しないの・・・?」
「だって読むほうが大事だもん」
おくびも無く。
「し、詩乃・・・私より、本のほうが大事だって言うのねーっ!もう知らないわ!」
琴夢は大げさに髪をひるがえしながらくるくる回って、床に倒れ込んだ。
「別次元だよ、琴夢も大事だけど本も大事なの」
そのまま琴夢はめそめそしはじめた。
私は本を受け付けに返却して、琴夢の手を引いて図書館を出た。
「ねぇ、詩乃?」
「んー?」
噴水広場への帰り道。
「いつもあんな分厚い本を読んでるの?」
「そうだね、起きてるときも本を読んでばっかり、かなー」
「・・・詩乃ってさ」
琴夢が歩みを止める。手を引いていた私は、琴夢が歩かなくなったことで立ち止まらざるを得なくなった。そして琴夢が私の前に回り込んで来る。
「詩乃はさ、本と人と、どっちが大事なの?」
「え、だからさっき、別次元だって・・・」
琴夢は大仰に手を広げて語りかけ始めた。
「好きなのはいいけどさ・・・没頭しすぎだよ・・・?」
そして、次の一言は私を突き刺すものだった。
「詩乃、友達、ちゃんといるの?」
世界が止まった。
「琴夢には、関係ないでしょ・・・・ッ」
言葉の端に異様に力が入ってしまい、琴夢が一瞬おびえた顔をした。
一瞬。ほんの、一瞬でも、こんなに感情を出したのは、いつぶりだろう・・・。
「ご、ごめん・・・」
さっきまでの説教姿勢はどこかに飛んで、琴夢の顔には申し訳なさばかりが浮かんでいた。
「私こそ、ごめん。琴夢を蔑にしすぎたのは、謝らなきゃ」
「・・・うん」
変な空気になって、私たちはまた歩きだす。鉛の靴を履いているかのように、足が重かったが、逆に一刻も早く夢から覚めたいような感覚もあった。
喋るだけならば、StarlightCoffeeなんかより、ベンチのほうが落ちつくのが私たちだ。ざばざばと水が流れ落ちる音にかき消されないように、少し大きな声で話さなければいけないのが面倒ではあるが。
「琴夢、今日はありがとね」
「ん、なんで?私なんかダダ捏ねてばっかりだったのに」
「それでも、だよ」
私にも、多少は後悔の念があった。
「わがままを謝ったら、次はお礼。そうじゃない?」
あ、いけない。涙がこぼれる。
私たちはどちらからともなく、抱き合って、少しばかりの涙を流した。
昔は、私たちが子どもだったころは、よくあることだった。今でこそ喧嘩なんてしなくなったけど、昔は行き先決めですら喧嘩に発展することが多かったのだから。
「もう、時間だね」
琴夢が私の懐中時計を勝手に開いて、時間を確認していた。
「あれ」
当然ながら、ふたの裏側にこっそり貼っていた写真が琴夢にも見えてしまう。
「詩乃ったらさ、こんな昔の写真貼っちゃって・・・」
琴夢がくすくすと笑う。もう10年以上前の写真が、そこには貼ってあるのだ。
「笑わないでよ、もう」
でも、この笑いは心地よかった。
天蓋付きベッドで、私は目を覚ました。
そのままカーテンを少し乱暴に開けて、靴を履いて、机に直進する。
夢日記を開いて、私はしばらく前と同じように、ペンで殴りつけるように日記に夢を記していく。
抑えつけられないほどの感情が湧きあがるなど、滅多にないことなのだ。苛立ちを隠せず、日記は数ページがぼろぼろになって使いものにならなくなってしまっていた。
日記いじめに飽きて時計を見る。
時計の長針は、100°ほどを指していた。
今書いてるメインのSSは、「人形と花、ときどき蟲」なのですが、
ぶっちゃけ進まんとです。難しい。その分、力は入ってますが・・・。
で、息抜きに、東方で軽く書きました。
実はちょっと前に某投稿型サイトに落としてるんですが、まあ気にしない方向で。
キャラの名前は敢えて出してないです。皆様方で予想して遊ぶのも楽しいかもですね。
では、いつも通り本文は、下の「続きを読む」ボタンからどうぞ。
今回はかなりの短編です。
ぶっちゃけ進まんとです。難しい。その分、力は入ってますが・・・。
で、息抜きに、東方で軽く書きました。
実はちょっと前に某投稿型サイトに落としてるんですが、まあ気にしない方向で。
キャラの名前は敢えて出してないです。皆様方で予想して遊ぶのも楽しいかもですね。
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今回はかなりの短編です。
「で? 結局何もありゃしないじゃないの」
「何ってそりゃ、空を見てみろよ」
まるで話が通じていない。取り敢えず、私は魔法使いに言われるがままに空を見上げた。
・・・話は現在から数十分前に遡る。
私はゆっくりと寝ていたのだ。一応魔法使いという種族に入っているし、魔力で睡眠くらい補えるだろうという意見もあるが・・・そんなことは今はどうでもいい。問題は、近所に住んでいる人間の魔法使いが、その私がゆっくり眠っている真夜中に私のもとを訪れ、なぜかピクニックに誘われたということだ。こつこつとノックされたのはベッドのすぐ横にある窓で、私がカーテンを開けて真っ暗な外を見ると、魔法使い――名を霧雨魔理沙と言う――が、手に大きなバスケットを持って、箒に跨ったまま滞空していた。魔理沙はよぉ、と一言窓ごしに言うと、次には開けてくれと要求してきた。何が何だかわからないまま出かける準備をさせられ、魔理沙の箒に乗っけられて冬の真夜中の空に飛び出した。
「寒くないか?」
背中越しに聞こえる声は、私のことを気遣っていた。
冬とは言っても、秋が終わったばかりの初冬だ。初雪さえまだ降ってはいない。
「大丈夫よ。それより、いったい何の用なのかしら?」
「へへっ。昨日、夜の散歩をしてたら、ちょっといい場所を見つけたんだ。妖精もいないし、割と居心地のいい場所なんだ」
吹きつける風に乗って聞こえる魔理沙の声は、いつもより興奮しているような気がした。
「昼間じゃダメなの?」
少々呆れ気味な私の声。心のうちでは、私も興奮していたけどそれを何とか隠したくて、ついついいつもぶっきらぼうでつまらなさそうな口調になってしまう。私の悪い癖だ。
「んー・・・夜の方が、私は好きだからな」
いまいちピンとこない。でも、何にしても魔理沙は私を誘ってくれたのだ。拒否する法はない。
「ふぅん・・・まあ、いいわ。でももしもそこがつまらない場所だったら・・・」
一応の確認を取ろうとする私を魔理沙がさえぎる。力強い口調で。
「その心配はないぜ」
こんなやり取りの間、箒は魔理沙に酷使され続けている。スピードの出し過ぎで柄がしなるんじゃないかと思わせるほどだ。もう少し行くと妖怪の山に入ってしまう。私は少し心配になってきて、魔理沙の背に体重を預けるようにして不安を解消しようとした。
それを感じてか、魔理沙は低く唸るように一言。
「大丈夫、もうすぐだぜ・・・!」
・・・時は現在に戻る。
妖怪の山の麓、寒々しい様相を呈している落葉樹の林の木々の中、ぽっかりと開いた広場があった。そこにはまだ雑草のような柔らかな草が生い茂り、いくらか紅葉した落ち葉が引っ掛かって残っていたりしている。座ると、日中の日の光をたっぷりと含み残した草が柔らかく迎えてくれて、暖かい。
魔理沙に言われたとおり空を眺めると、そこには冬特有の澄んだ空気によっていつもにもまして輝き誇る星々が、まるで宝石を散りばめたかのように煌めいていた。
「・・・!」
ぐっ、と唾を飲み込む音が、やけにはっきりと聞こえた。・・・星に、圧倒された。
「すごいだろ・・・?」
横ではいつの間にか魔理沙があおむけにひっくり返って、組んだ手を枕代わりにして星を眺めていた。
その目を、瞳を見た私は、そこに映り込んだ無数の光の粒にまた圧倒された。
「すごいわ・・・」
素直に感想を述べると、魔理沙は首をめぐらしてこちらを向き、いつもの笑い顔を向けてくれた。にっと、およそ少女に似つかわしくないあの笑いだ。私が大好きな、魔理沙のひとつの表情。
「さて、と」
むくりと起き上がった魔理沙は、持ってきていたバスケットから丸めたシートを取り出して、せっせと広げ始めた。私もそれを手伝う。
シートは少しばかり狭い。バスケットの中に入っていた手作りと思しきパンや洋食料理を広げ、最後に少し埃をかぶっているランタンを取り出した。
私もそれらの料理をシートに並べるのを手伝い、魔理沙が見ていない隙にランタンの埃を落としてやったりした。火は、きっと魔理沙がつけたがるはずだからつけないでおく。
「すまないな」
「いいのよ。連れてきてもらっておいて何もしないって言うのもなんだか悪いし」
二人そろって顔を見合せて、クスクスと笑う。自宅で籠って読書や魔法の研究をするのもいいが、こんな時間も、私は好きだった。
魔理沙が無理して作った料理には、魔理沙の苦労によるうまみが利いていて美味しい。たとえば、今食べている、明らかに分量を間違えていそうなペシャメルソースを使ったグラタン。マカロニはアルデンテどころか思いっきり固ゆでだが、そんなことはどうでもいいのだ。他にもいろいろ間違えた料理を食べたが、不思議と・・・不味いとは思わなかった。
「んー・・・お前のためにいろいろ作ってはみたんだが・・・」
しばらく二人で星を見ながら無言で遅い夜食を食べていたが、魔理沙が自分の料理を全部一口食べてはお茶で流し込んでいるのを私が苦笑しながら見ていたことに気づいたらしく、私に話しかけてきた。
「味、大丈夫か?」
「あはは、魔理沙、そんなこと気にしてたの?」
「んだよ、せっかく私が心配してやってるのに」
頬を膨らます魔理沙が可愛くて、私は思わず言ってしまった。
「魔理沙が作ってくれたんだから、味なんて関係ないわよ」
「なっ、うわっ、そんなっ・・・///」
蒸気でも上げそうなほど真っ赤になった魔理沙の顔は、やっぱり可愛かった。
「それに、久々の緑茶もいいわね」
手に持った暖かい湯呑には、濃い緑色のお茶が満たされている。
水面に映り込んだ星々は、やっぱり美しく私を圧倒していった。
「何ってそりゃ、空を見てみろよ」
まるで話が通じていない。取り敢えず、私は魔法使いに言われるがままに空を見上げた。
・・・話は現在から数十分前に遡る。
私はゆっくりと寝ていたのだ。一応魔法使いという種族に入っているし、魔力で睡眠くらい補えるだろうという意見もあるが・・・そんなことは今はどうでもいい。問題は、近所に住んでいる人間の魔法使いが、その私がゆっくり眠っている真夜中に私のもとを訪れ、なぜかピクニックに誘われたということだ。こつこつとノックされたのはベッドのすぐ横にある窓で、私がカーテンを開けて真っ暗な外を見ると、魔法使い――名を霧雨魔理沙と言う――が、手に大きなバスケットを持って、箒に跨ったまま滞空していた。魔理沙はよぉ、と一言窓ごしに言うと、次には開けてくれと要求してきた。何が何だかわからないまま出かける準備をさせられ、魔理沙の箒に乗っけられて冬の真夜中の空に飛び出した。
「寒くないか?」
背中越しに聞こえる声は、私のことを気遣っていた。
冬とは言っても、秋が終わったばかりの初冬だ。初雪さえまだ降ってはいない。
「大丈夫よ。それより、いったい何の用なのかしら?」
「へへっ。昨日、夜の散歩をしてたら、ちょっといい場所を見つけたんだ。妖精もいないし、割と居心地のいい場所なんだ」
吹きつける風に乗って聞こえる魔理沙の声は、いつもより興奮しているような気がした。
「昼間じゃダメなの?」
少々呆れ気味な私の声。心のうちでは、私も興奮していたけどそれを何とか隠したくて、ついついいつもぶっきらぼうでつまらなさそうな口調になってしまう。私の悪い癖だ。
「んー・・・夜の方が、私は好きだからな」
いまいちピンとこない。でも、何にしても魔理沙は私を誘ってくれたのだ。拒否する法はない。
「ふぅん・・・まあ、いいわ。でももしもそこがつまらない場所だったら・・・」
一応の確認を取ろうとする私を魔理沙がさえぎる。力強い口調で。
「その心配はないぜ」
こんなやり取りの間、箒は魔理沙に酷使され続けている。スピードの出し過ぎで柄がしなるんじゃないかと思わせるほどだ。もう少し行くと妖怪の山に入ってしまう。私は少し心配になってきて、魔理沙の背に体重を預けるようにして不安を解消しようとした。
それを感じてか、魔理沙は低く唸るように一言。
「大丈夫、もうすぐだぜ・・・!」
・・・時は現在に戻る。
妖怪の山の麓、寒々しい様相を呈している落葉樹の林の木々の中、ぽっかりと開いた広場があった。そこにはまだ雑草のような柔らかな草が生い茂り、いくらか紅葉した落ち葉が引っ掛かって残っていたりしている。座ると、日中の日の光をたっぷりと含み残した草が柔らかく迎えてくれて、暖かい。
魔理沙に言われたとおり空を眺めると、そこには冬特有の澄んだ空気によっていつもにもまして輝き誇る星々が、まるで宝石を散りばめたかのように煌めいていた。
「・・・!」
ぐっ、と唾を飲み込む音が、やけにはっきりと聞こえた。・・・星に、圧倒された。
「すごいだろ・・・?」
横ではいつの間にか魔理沙があおむけにひっくり返って、組んだ手を枕代わりにして星を眺めていた。
その目を、瞳を見た私は、そこに映り込んだ無数の光の粒にまた圧倒された。
「すごいわ・・・」
素直に感想を述べると、魔理沙は首をめぐらしてこちらを向き、いつもの笑い顔を向けてくれた。にっと、およそ少女に似つかわしくないあの笑いだ。私が大好きな、魔理沙のひとつの表情。
「さて、と」
むくりと起き上がった魔理沙は、持ってきていたバスケットから丸めたシートを取り出して、せっせと広げ始めた。私もそれを手伝う。
シートは少しばかり狭い。バスケットの中に入っていた手作りと思しきパンや洋食料理を広げ、最後に少し埃をかぶっているランタンを取り出した。
私もそれらの料理をシートに並べるのを手伝い、魔理沙が見ていない隙にランタンの埃を落としてやったりした。火は、きっと魔理沙がつけたがるはずだからつけないでおく。
「すまないな」
「いいのよ。連れてきてもらっておいて何もしないって言うのもなんだか悪いし」
二人そろって顔を見合せて、クスクスと笑う。自宅で籠って読書や魔法の研究をするのもいいが、こんな時間も、私は好きだった。
魔理沙が無理して作った料理には、魔理沙の苦労によるうまみが利いていて美味しい。たとえば、今食べている、明らかに分量を間違えていそうなペシャメルソースを使ったグラタン。マカロニはアルデンテどころか思いっきり固ゆでだが、そんなことはどうでもいいのだ。他にもいろいろ間違えた料理を食べたが、不思議と・・・不味いとは思わなかった。
「んー・・・お前のためにいろいろ作ってはみたんだが・・・」
しばらく二人で星を見ながら無言で遅い夜食を食べていたが、魔理沙が自分の料理を全部一口食べてはお茶で流し込んでいるのを私が苦笑しながら見ていたことに気づいたらしく、私に話しかけてきた。
「味、大丈夫か?」
「あはは、魔理沙、そんなこと気にしてたの?」
「んだよ、せっかく私が心配してやってるのに」
頬を膨らます魔理沙が可愛くて、私は思わず言ってしまった。
「魔理沙が作ってくれたんだから、味なんて関係ないわよ」
「なっ、うわっ、そんなっ・・・///」
蒸気でも上げそうなほど真っ赤になった魔理沙の顔は、やっぱり可愛かった。
「それに、久々の緑茶もいいわね」
手に持った暖かい湯呑には、濃い緑色のお茶が満たされている。
水面に映り込んだ星々は、やっぱり美しく私を圧倒していった。
久々に。
このところ生放送見たりSS書いたりで忙しいです。
遊んでばっかりじゃねぇかってツッコミはさておき、ここにおけそうなSSができたのでひとつ。
ガチで東方です。弾幕までやっちゃってます。
東方分かる方なら読めると思いますが、予備知識なしだときついかもしれないです。
いつも通り百合成分を含みますのでちょっとだけ注意です。
今回はキスとかないですけど、ね。
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このところ生放送見たりSS書いたりで忙しいです。
遊んでばっかりじゃねぇかってツッコミはさておき、ここにおけそうなSSができたのでひとつ。
ガチで東方です。弾幕までやっちゃってます。
東方分かる方なら読めると思いますが、予備知識なしだときついかもしれないです。
いつも通り百合成分を含みますのでちょっとだけ注意です。
今回はキスとかないですけど、ね。
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「よし、っと」
七色の人形遣いの二つ名で通っている魔法使い――アリス・マーガトロイドは、ある人形を作り上げ、それを感心したようにいろいろな角度から眺めていた。
「また、いい感じね」
――また。
自分ではその一言に違和感を感じていないアリスは、その人形を開いたショーケースへと置いた。その隣には、今作り上げた人形とほとんど変わらない人形が並んでいる。
そう。アリスは、ここ数年ただ一種類の人形を作り続けていた。
「・・・」
三頭身ほどにデフォルメされたその人形は、黒いドレスに白いエプロンをあしらった服装で、大きな頭にはややウェーブのかかった長い黄色の髪がかかっている。やや勝ち気に見えるよう角度を調節してある眼や、にっと笑った口がなんとも可愛らしい。
だが、アリスは物足りなさを感じていた。なぜなら、彼女自身――こう呟くほどだから。
「これ・・・誰なんだろ」
その「事故」は、数年前に起きた。
魔法の森にある、一軒の魔法店。霧雨魔理沙という少女が経営する、こぢんまりとした店だ。
店なんていうのは名ばかりで、実際には接客はなってないし、自分が作りたい魔法をただひたすらに作り続ける魔理沙は、依頼を受けてもなかなか手をつけようとしない。店が繁盛するわけもなく、結局は彼女の魔法研究所になり果てていた。
・・・八百万の神々と戦い、異常天候続きを解決した数年後の話だ。魔理沙は、ただひたすらに暇な日々を送っていた。
とはいっても、この家の中にはいくらでも暇つぶしになる道具が転がっている。この家に昔住んでいた魔法使いの遺品がごろごろ転がっているのだ。そのうちのひとつである、何をしてもいっこうに開こうとしない小さな西洋式の箱が、今の魔理沙の研究対象だった。
外で日を浴びていた彼女は、うっそうと茂る樹木のせいで、多角形に切り取られたようにしか見えない空へと気晴らしに魔法で大きな星を飛ばすと、踵を返して家へと入った。
「さて、今日は何をしてやろうか」
その箱は、魔理沙にとって価値があって価値がないものだった。彼女にとって物理的に価値のあるものと言えば「明らかに魔法に関わっている面白いもの」くらいしかない。あとは食べ物程度か。そう考えればこの箱に価値など微塵も感じることはないだろう。
しかしまた別の観点から彼女を見てみれば、「面白い」あるいは「面白そうな」に惹かれるところから、わけのわからないような物品を好む習性がある。そしてこの箱もわけのわからない物品だ。故に、彼女にとって価値があって価値がないもの。
魔理沙はその宝石を散りばめた箱を手に取る。ずっしりとした重みを感じると、彼女はやや満足した表情でそれをまたごちゃごちゃした机に戻した。
次に魔理沙はその机に積まれた道具の中から八卦炉を取り出すと、慣れた手つきで箱をあぶり始めた。木をベースに上薬をかけて磨いたような箱であるから、無論表面が溶けて机にとろとろとこぼれ始める。ぶすぶすと煙をあげて、箱が燃え始めた。
「・・・よしっ」
なにが「よしっ」なのか自分でもわからなかったが、言ってみたかったので言った。
箱の角に、小さな穴が――
「・・・!」
その小さな穴は大きな成果だった。毎日あぶっていたが、穴が開いたのは今日が初めて。いつもなら途中で魔理沙の息が切れてしまって火力が弱まり、その拍子に箱は瞬間的にその形を再生してしまうのだ。机に落ちた上薬の滴や、木の焼けた部分から出た煙も、まるで映像を巻きもどすようにして吸い取る。いかなる構造なのか、魔法力を感知できる魔理沙には、その魔法力の強さは測れてもどんな魔法なのかはわからなかった。
そして、今回その穴から覗けたものは・・・
「はははっ、なんだこんなものが入ってたのか」
笑って魔理沙はそこに指を突っ込んだ。が、
「あっ・・・?」
箱の内部に、結界が張ってあった。
実のところその箱はこの家に住んでいた魔法使いのコレクションで、ある大魔法使いの「思い出」を形として封じ込めた代物だった。箱という小さなものの内側に結界とともにそれを封じた大魔法使いは、行方不明となっていた。
禁忌とさえされた神器だったのだ。だからこの家に住んでいた魔法使いは、それに外側からさらに魔法をかけて、外側からも封印した。自身の跡継ぎになるかもしれない少女に災難が降りかかるとも知らずに。
「星・・・?」
西、つまり神社の鳥居とは反対のほうにある縁側に座ってお茶をすすっていた霊夢は、空に大きな星が上がるのを見た。形状は数年前に終わらない夜の下で対峙した時に大量に舞っていたあの星と全く同じ。
「あんたも変わらないわねぇ」
知らず知らずのうちに霊夢はそんなことをつぶやき、巫女服を整えると、空へ――魔法の森へと飛び立った。
「か・・・はっ・・・?」
指を伝って流れた結界による呪いが、
「く・・・ぐぅふっ」
魔理沙の息の根を止めた。
がたんと大きく響く、椅子の倒れる音。
誰かが叫ぶ声。
余波を受けて飛び散ったミニ八卦炉が、床に横向きに倒れた魔理沙の頬に落ちた。熱いとか感じる以前に、魔理沙は頬にものが落ちたということを感知できていなかった。
「あ・・り・・・・・・す」
ただ、想い人の名前を最後に呟いて、魔理沙は意識を手放した。
「魔理沙!?」
吹き飛んだドア。もうもうと埃の舞う部屋で、魔理沙が倒れていた。
「魔理沙っ! なにしてるの!?」
魔理沙なら、ここでむくりと起き上がって「ちょっと失敗しちゃってな」くらい言いのけてくれそうなのに、起き上がってもくれない。
「まり・・・さ・・?」
「あ・・り・・・・・・す」
その言葉をやっと聞き取り、意味を理解して、霊夢は絶句した。二つ以上の意味で。
「やっぱり、私よりアリスの方がいいのね」
涙が流れていた。それを拭おうともせず、霊夢は部屋に充満する邪気に気を向けた。
「何よこれ、なんなの」
袴をまさぐって、札を取り出す。邪気をもろに食らったらしい魔理沙に清めの札を貼ってやると、息がゆるやかに・・・ならなかった。
「え?」
止まっていた。既に、という条件付きで。
「い、や・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
盗みを働き、わけのわからない店を魔法の森などという辺境で開き、巫女につきまとっては異変の解決に身を乗り出す白黒魔法使いの死は、瞬く間に幻想郷中に知れ渡った。
ここまで伝達するスピードが速いと、なにか笑いがこみあげてくるほど可笑しい気分になる。このニュースが、嘘なんじゃないかと思えてくる。
「ある二人から愛された、幻想郷じゃ名の知れた将来有望な人間魔法使いの早すぎる死」などと題名をうった新聞が、現実味をわずかながら引き出していた。
――二人。博麗霊夢ならびにアリス・マーガトロイド。
想いを伝える前に、想い人がいなくなった悲しみをだれが想像できようか。・・・この文句も新聞に書いてあった文句だ。霊夢もこの時ばかりは、この新聞の記事を肯定せずにはいられなかった。
無論人形遣いにもそのニュースは届いた。人形が運んできた新聞をめくれば、その見出しに目が行く。
「は・・・?」
暫く意味が理解できなかった。今日って、4月1日だったっけ?
意味が頭に浸透してきたころ、人形遣いは人形に囲まれて涙を流していた。
泣いていた時間はそう長くない。賢い人形遣いは、針と糸を手にして、人形を作り始めていた。――自らを見失う前に、愛の証を残すために。
巫女と人形遣いは自然に、より交友を深めていった。あれから何日も過ぎた後で、霊夢がすべての元凶となった箱を持ち出してきた。
霊夢が箱の結界を解いて――外側の魔法は魔理沙がとっくに焼き払っていた――中身を取り出したところ、巨大な宝石が出てきた。
「・・・はあ?」
魔理沙と同じ職業というか種族であるアリスの話を聞く限りでは、これは禁忌として封印されておくべきだった品物らしい。どこをどのように通ってあの魔法使いの手に渡り、それが魔理沙を死に至らしめたのかは全く不明だったが。
出てきた宝石は、液体のように箱にぴったりサイズを合わせていたが、いったん箱から落ちると、その透きとおった青い色のまま形を丸く変えた。水晶玉にしか見えない。
曇った宝石の内側は、ただもやもやとした空間を映し出すのみだった。アリスと二人でそれを転がしてみたり拭いてみたりしたが、どうにもならない。マジックアイテムらしく、傷がつくこともない。思い切ってお祓い棒でぶっ叩いてみたが、割れるどころか凹むことすらない。
「魔法・・・かけてみる?」
提案したのはアリスだった。霊夢はただ、静かに一度だけ頷いた。
「――――――」
霊夢には理解できない言葉を発しながら、アリスは水晶玉に手をおいた。とたん、水晶玉が内側から発光し始める。
網膜から後頭葉に伝達されたその光は、二人の脳内のある記憶をピンポイントに消し去った。
「あっ!?」
「しまった、トラップ!?」
記憶が消えたということがまず認知できなかった二人は、ただ割れて真っ二つになった水晶玉を唖然として見ていることしかできなかった。
「何もないみたいね」
「そうね。割れたけど」
がくっと肩を落とすアリス。消えた記憶の所為ではない。このマジックアイテムが効力を失ったことに対する純粋な「もったいない」という気持ちだった。
「もういいわ。なんだかよくわからなかったし・・・ありがとね、アリス」
想い人を想わなくなった紅白巫女は、想い人が減った七色の人形遣いに別れの挨拶をして、飛んでいった。
あれから何年がたったろう。霊夢は依然として巫女を続けているし、周りの連中だって人間はちょっと年をとったけれどほとんど変わっていない。「変化」なんて、ない・・・。
「誰なのよ、あなたは」
アリスは十数体並んだその白黒の服装の人形を、指で軽く小突いた。にっと笑った顔がなんとも可愛らしく、生き物ではないそれに淡い恋心を抱いてもいた。
「どうしたっていうのかしらね、私」 昔はこんな風に、人形に恋をするなんてことはなかった。少なくともあの春、・・・
記憶が続かなくなった。 「つうッ・・・」
あの何年間かの間に、なにか空白がある。本来空いてないスペースのはずなのに、白く抜けたその風景の一部分。そこを思い出そうとすると、決まってとんでもない頭痛が始まり、思考が鈍くなる。
きれいに片付いた机から引っ張り出す、色褪せた新聞の一面。そこに、知らない魔法使いの名前が載っている。
「誰なのよ、ほんとに」 ――写真もあったのだけれど、気付いたら視界に入らなくなっていた。
――写真もあったのだけれど、気付いたら視界に入らなくなっていた。
誰も霊夢に、そこに写真があるとは言わなかった。否、言えなかった。想い人を失った悲しみから、精神的なダメージで脳がそれを拒否したのだと誰もが間違った見解で言いとどまっていた。
霊夢はアリスと体を重ねることを知った。人のぬくもりに包まれる幸せを、霊夢は知った。だが、次に体を重ねあい、お互いに絶頂を迎えた時、お互いの口から同時に信じられない単語が発せられた。
「「魔理沙」」
アリスがあわてて布団を羽織りながら机に走り、足をもつれさせて転んだりしているうちに、何も体に身につけていない霊夢はさっさと新聞を取り出すと、ランプの光の下それを読み上げた。
「・・・・・・得体のしれないマジックアイテムの暴発で亡くなった普通の白黒魔法使いこと霧雨魔理沙・・・あったわ!」
「魔理沙・・・魔理沙・・・」
はっとアリスが顔をあげる。
「白黒ってもしかしたら」
アリスがショーケースの蓋を開くと、そこにはきれいに並んだ白黒の服装の人形・・・つまり、霧雨魔理沙が大量に並んでいた。
霊夢の意識はフラッシュバックした。
「どこに埋葬するってのよ」
霊夢はスキマ妖怪こと八雲紫に尋ねた。
「神社に」
紫はそう呟くように言った。続けて、
「その方が、あなたも魔理沙も喜ぶんじゃなくて?」
「私は喜ぶかもしれないけど、魔理沙は・・・」
「大事なのは、生き残った者が死者をどう見るかなのよ」
紫はそう言い切ると、藍と橙に土を掘らせ始めた。
「ちょっと、人間は焼いて骨にしてから埋めるものよ」
霊夢が咎める。
「黙ってなさい。・・・あとで焼いたら承知しないわよ」
「そんな勝手な・・・!」
会話をしているうちにどさどさと魔理沙にかかる、恐ろしく仕事の早い式神たちの涙が混じった土。神社の裏手の丘に、その骸は葬られた。
「霊夢、ちょっと大丈夫!?」
くず折れた霊夢を、アリスが支えている。どうしようもなく震える足が、霊夢自身を支えていなかった。
「魔理沙が、神社の裏に・・・!」
それだけ言うと、霊夢はまた眼を閉じてしまった。
「魔理沙って・・・まり、さ?」 デフォルメされていない、人間の魔法使いの顔が、頭に浮かんだ。もう細部まで思い出すことはできないくらい忘れてしまっていたけれど、あの子供っぽい笑顔だけははっきり思い出すことができた。 「うぅ・・ああっ・・・?」 とめどなくあふれる涙。もう流さないと思っていたのに。
精神的に破壊しつくされてしまったアリスには霊夢からのわずかなヒントが最後の頼りになっていた。だがしかし、ヒントを掴んだうれしさや安心感で体が弛緩して動かない。今日はあきらめようと、アリスは床に寝ている霊夢の横に身を下ろすと、布団を霊夢と共有して眠りに落ちた。
「で、なんで急に墓参りなのよ?」
――記憶を取り戻したのは、どうやらアリスだけだったようだ。霊夢は昨日の絶頂を迎えたあたりから記憶がないと言っている。
「いいから、ちょっと来て」
霊夢の手を無理やり引っ張って、空をめいっぱいスピードを出して翔る。風が気持ちよかった。
「アリスっ、ちょ、早いぃっ!」
ぐんぐん上がるスピード。記憶を失っていた時間が長すぎたが故に、たとえ命を失っていようとも魔理沙の顔が見られるかもしれないと強く思っていた。その想いが、自然とアリスの飛行スピードを上昇させていく。軽く自己最高記録は塗り替えたろう、あっという間に、博麗神社の上空に達していた。
「しばらくぶりじゃないか、閻魔様」
白黒魔法使いは冥界に入る前に、半分寝ている小町に案内されながら三途の川を渡り、その先にある御殿で閻魔と対面していた。
「早いですね」
何がだよ。
「こちらに来るのが」
「ああそうかい。私だって死にたくて死んだわけじゃないんだ」
閻魔こと四季映姫・ヤマザナドゥは、その言葉をただ静かに受け止めた。
「・・・多くの盗みを働いたその罰、地獄送りなどでは済まされない・・・ですが、地獄送りがこの場所における最高の罰だから仕方がありませんね」
魔理沙の顔がこわばる。最初からわかりきっていた判決だけれど、いざ言われてみると胸の奥がずきずきと痛んだ。
「昔聞いた話しだとな、・・・地獄に行くとしばらくは転生できないらしいじゃないか」
「その通りですが」
「それこそ妖怪が一生に費やすくらいの時間だったか。私はそんなの御免だ。もう一度アリスに会って、私の気持ちをちゃんと伝えるんだ」
やけに力のこもった言葉だった。だが、映姫の判決を覆せるはずもなく。
「黒です。私には白黒はっきりつける程度の能力しかありません」
暗に、あんたはどうあっても地獄に送ると言っているわけだ。魔理沙は憤りを感じずにはいられなかった。
幸い魔力はここでも普通に使える。呪いはだいぶ前に霊夢が解いていたから、体に支障はない。魔理沙はありったけの魔力で、箒を使わず自分の身を後ろにぶっ飛ばした。
三途の川の上空を通り過ぎる。このような事態を想定して配置されているはずの小町は、ボートで爆睡していた。
前から飛んでくるのは映姫のスペルカードによる攻撃だろう。ラストジャッジメントのその威力は、一度見たら頭から離れない。いきなり最強の攻撃を受けた魔理沙は、紙一重でその極太の光を避けた。
自らもスペルカードを発動する。いつかパチュリーから教えてもらったものを霧雨流にアレンジしたスペルカードだ。
「ノンディレクショナルレーザー!」
映姫のラストジャッジメントに勝るとも劣らない純粋な魔力のレーザーが、御殿をきれいに切り裂く。威力だけなら勝っているだろう。小さな星たちのきらめきが、映姫を捉えた――
アリスは必死に土を掘っていた。
「あんたいつから墓荒らしになったのよ」
そんな霊夢の呆れた声も耳には届かない。霊夢には、新聞の写真は見えていないし、これからこの下から出てくる死体の顔を見ても何も思わないのだろう。
「・・・つッ」
霊夢の顔が、歪んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
アリスはその顔を見て悟った。霊夢も、記憶を蘇らせようとしている。
「大丈夫だから、あんたは自分のことだけ・・・あうぅ・・・」
ふらふらとよろけながら、霊夢は少し離れた神社へと歩いて行ってしまった。
ようやく土を掘り終わって出てきたのは、紛れもない霧雨魔理沙自身の体だった。何故か、あの頃と全く変わらない服装で、皮膚が土に分解された様子もない。
「何かしら・・・?」
思わず魔理沙の胸に耳を当ててみたがもちろん脈はない。しかし、アリスにはこの体がある種の力場に護られていることが分かった。
「スキマ妖怪ね」
時間の境界を弄っていたのだろうか。時間逆転や時空停止などはあのメイド長の得意技だった気もするが、彼女もここまで暇ではあるまい。ならば・・・
「あら、人形遣いじゃないの」
「やっぱりスキマ妖怪の仕業か」
アリスが振り返ると、今まさに隙間からはい出してきたと見える八雲紫の姿があった。
「何の用なの?」
数年ぶりの邂逅だ。この妖怪なら確かに暇で、この程度の境界ならいともたやすく動かすだろう。
「私だってその娘が死んだことは残念に思ってるの。このくらいしてあげても、誰も怒らないでしょう?」
質問の答えになっていない。アリスは憤りを感じると・・・理性が飛んでいた。
「ただの冒涜よ、そんなのッ!」
「あら、あなたに怒られる筋合いもないわ。この幾年か、この神社のせいで魔理沙はほとんど誰からも花を手向けてもらってもいないし、あなただって記憶喪失ですっかりだったみたいだものね」
痛いところを突かれた。
「さらに言えば。彼の世から魔理沙を引きずり出すことだって」
「いい加減にしてよ! 冒涜だって言ってるのがわからないの!?」
そこで、アリスの肩になにかずっしりとした重みがかかった。霊夢だ。
「紫、今、何て言った?」
冷静に聞いていれば問題なく聞き取れていたであろう重要な部分を、アリスは遮ったばかりか、聞き逃していた。
「魔理沙を生き返らせる・・・っていうのはちょっと語弊があるけれど、とりあえずそういうようなことはできるわ」
アリスは嬉しさと自己嫌悪でくず折れた。同時に紫の言葉の意味が浸透してくる。
霊夢が呟くように言った。
「もう思い出したわ。あんな死に方した魔理沙を、完全に忘れるなんて無理。・・・紫、詳しく聞かせなさい」
アリスが抱えていた魔理沙の亡骸を覗き込んだ霊夢は、顔をあげて紫を見た。感情などこもっていない、冷たい視線で。
「いいわ。その前に・・・冷えるから中に入ってお茶でも出してもらえないかしら」
どこまでも図々しい妖怪である。
やや冷めたお茶をすすりながら、アリスは紫の言葉を反芻してみる。今は霊夢と紫は魔理沙の亡骸をきれいにするために別の部屋にいるらしい。
「生き返るには、閻魔からどうにか許可を得て此の世に戻る必要があるって・・・無理だわ、どう考えても」
肩に乗っていた上海人形が、アリスを真似て考え込むポーズをとる。それが可愛らしくて、でもそれを見ていると、自分が作り続けていた魔理沙の人形のことばかりが頭に浮かんできて、どうにもやりきれない気持ちを抱えてしまう。
どのみち、今は紫にもどうすることはできない。紫がかかわる段階に至るまでに、魔理沙が此の世に魂を戻してもらう必要がある。そこで初めて、紫が生と死の境界を弄って生き返らせることができるという。魂がなければ生きていたところでそれこそただの人形だ。
「私たちにはどうすることもできない・・・魔理沙が帰ってくることを望む保証もない・・・」
そこが問題なのだ。魔理沙が彼の世での生活に満足してしまえば、此の世に戻ってくることなど考えもしないだろう。ついでに、聞く話では閻魔は白黒はっきりつけるのが大好きなようで、魔理沙ほど盗みを働いたものなら黒にしかなれないらしく、魂を戻す許可など下りるはずがないのだ。
「帰ってきてよぉ・・・まりさ・・・」
今はアリス以外誰もいないその和室で、アリスは思いっきり涙を流した。
「だから部屋から出なさいって言ったのよ」
「あんたこんなことまで見透かしてるわけ?」
隣の部屋から障子に穴をあけてアリスの行動をうかがうなんて最悪だと思っていたが、あんなヘビーな話をされた以上アリスが自害してもおかしくはない。せっかく見つけた魔理沙の手がかりが無為になるかもしれないのだから。
「止めるのはあんたよ、博麗」
「な、なんで私がっ」
しばらくはこのスキマ妖怪と一緒にいることになりそうだ。
アリスは持ってきていたかばんの中から白黒人形を一体取り出した。一番大きいそれは、完全に魔理沙の特徴を受け継いでいて、なんだか頼もしいくらい。アリスは人形を抱きしめると、ころんと畳に転がった。
「魔理沙・・・会いたいよ、早く・・・」
普通眠りに落ちていたと思うのは起きてからだ。しかし、アリスは寝ていながら夢の中にあると自覚していた。なぜなら、本物の魔理沙が動いて魔法を使っているのが鮮明に見えたから。
しかし、魔理沙は劣勢だった。
三途の河の上空に魔力で浮かぶ魔理沙は肩で息をしているような状態で、小町と映姫を敵にしている。どうか、勝ってほしい。
アリスの気持ちが届いたのか、魔理沙が機関銃のように小さな星を連射する。小町が鎌で弾こうとするが、弾ききれずに落ちていく。あの傷つき具合だと、もう戦線復帰は無理だろう。が、映姫はほぼ無傷だ。未だ魔理沙が圧倒的劣勢に立たされているのに間違いはない。
アリスは、人形を手繰るために魔法の糸を展開した。自身は上海人形を握る。
「このッ・・・!」
上海がレーザーを・・・撃たなかった。夢の中のはずなのに、想像力を使ってどうこうという話ではないらしい。しかし、映姫がこちらに気づく様子もない。
――アリスは空気と化していた。
「小町・・・!?」
映姫はやや焦っていた。閻魔として強い力を持ってはいるが、魔理沙には一度打ち負かされた経験がある。幻想郷の花々が狂い咲いたあの異変のときだ。
「ですが、負けるはずはありません」
自分に言い聞かせるようにしながら、映姫は弾幕を展開する。どこからともなく錫杖を飛ばして、自身も弾を放ち、鳥の形を持った霊魂を発する。
対する魔理沙は傷だらけで、魔力もほとんど残されていない。オプションを展開し、弾幕を避けながらピンポイントでレーザーを発射する。光速で飛ぶレーザーは、しかし一発として映姫には命中していなかった。
頭にアリスの顔が浮かぶ。この戦いになんとか勝利しない限り、現世に戻ることができない。彼女に逢うことも許されない。
「あきらめない、ぜっ!」 声に合わせて、手から簡易的な細いマスタースパークを放つ。八卦炉を所持していない今、魔理沙にマスタースパークを撃つことはかなわない。
・・・どん。 「!!?」 錫杖がかすったのかと思ったが、周りに弾は見当たらない。なんだろう。
「魔理沙!」 聞こえた声は――アリスのものだった。
「アリス!?」 一応答える。何メートルか先にいる映姫を見るが、まっすぐに魔理沙だけを見据えているのを見ると、魔理沙の後ろにアリスがいるなんてことではないらしい。幻聴か。
「良かった、夢で逢えて・・・」
夢?
これは夢などではない。れっきとした現実だ。
「夢じゃないぜ! 私はこんなところに用事なんてないッ」
オプションの展開数を4つに引き上げる。体が魔力の酷使に耐えきれず悲鳴をあげるが、今を耐えれば勝ちだ。
すっ、と体が軽くなる。
「私の魔力でいいなら、存分に使うがいいわ」
アリスだ。横にアリスがいる。見えないが、そっちを向くことすらかなわない激しい弾幕の中で身を躍らせているが、そこに在るアリスを感じ取ることができる。
「アリス・・・まったく、私がいないとそんなにさびしいのか?」
ふっと自嘲気味に笑って、先ほどの「どん」という重さを感じたところに左手を伸ばしてみた。以外にもエプロンのポケットだ。
「さびしいわよ、馬鹿っ」
泣くな、泣くなよアリス。 「泣かない方がおかしいわよ、こんな状況で・・・!」
「・・・八卦炉!?」 アリスの言葉を聞きながらも、魔理沙は戦闘に集中しなければならない。アリスの言葉の一つ一つに応えているわけにはいかない。だが、ポケットの中に入っていたものの形状を探り当てたときにはさすがに驚いた。さっきまでここには何も入っていなかったはずだ。
しかしそれを手にしたとき、魔理沙は勝利を確信した。アリスから受けた魔力の供給もあってか、体はさっきからやたらと軽い。
「いけるぜ。勝てると思うんじゃないぜ、この霧雨魔理沙さまに!」
宙返り、高速移動、オプションの巧みな配置と攻撃方法の変更。オプションからはミサイルで弾幕を張りながら、映姫の目の前に魔理沙自身を持っていく。オプションがいくらかの錫杖や鳥と衝突しながらも、なんとか行けた。
「恋色の魔法、見せてやるぜ」
「なぜ、さっきまで飛ぶのがやっとの状態だったはず・・・」
うろたえる映姫の目の前で、霧雨流最強の魔法マスタースパークが炸裂した。
「ん・・・」
魔理沙が身をよじった。苦しそうに首を動かして、しばらくすると黙った。
「生き返ったわ。・・・信じられないけど」
魔理沙がマスタースパークを放った時点で、アリスの意識は深い眠りへと落ちて行き、そこで彼の世との関係は終わっていた。眠っている中でも感覚は鋭敏に働き、深淵へと意識が落ちたことまでもが感知できていた。泣き疲れたんだろうな、自分、などと考えながら、アリスは鋭敏な感覚を手放して、普通の眠りに入った。
霊夢と紫はそこで漸くアリスを布団に寝かせてやった。外ではとっくに紫が魔理沙という存在の生と死の境界を弄り、魔理沙は息吹を取り戻していた。
「やっと終わったのね。・・・ううん、これから始まるんだ」
霊夢は誰にともなくつぶやいた。きっと次にこんな感傷に浸るときは横に魔理沙がいて、そんなの霊夢らしくないぜとか何とか言って小突いてくるんだろう。
「じゃあ、私は帰るわ。昼間から起こすなんてあなたたちもやってくれるわよね」
紫は眼尻に涙を溜め始めた霊夢に背を向けると、スキマを展開した。
霊夢とアリスが腫れぼったい瞼を開くころ、魔理沙はきれいないつもの魔法使いの服装のまま博麗神社の縁側に放置されていることに気づき、飛びあがらんばかりに驚いた。
「わ、わ、わ・・・私はいったい・・・」
きょろきょろとあたりをうかがう魔理沙に、仲良く眠る二人の姿が映る。ちょっとばかり背の伸びた巫女と、何も変わっていない人形遣い。巫女のポジションにやや嫉妬を感じながらも、白黒魔法使いはその真ん中へ身を投じた。
「アリスも霊夢も、大好きだぜっ!」
その日を境に、白黒の人形はすべて人形遣いの元を去ったという。
だが人形遣いは白黒人形に感謝していた。あの眠りの中見えた光景は、白黒人形が伝えたものだと信じていたから。
――人形は、何も語らない。
七色の人形遣いの二つ名で通っている魔法使い――アリス・マーガトロイドは、ある人形を作り上げ、それを感心したようにいろいろな角度から眺めていた。
「また、いい感じね」
――また。
自分ではその一言に違和感を感じていないアリスは、その人形を開いたショーケースへと置いた。その隣には、今作り上げた人形とほとんど変わらない人形が並んでいる。
そう。アリスは、ここ数年ただ一種類の人形を作り続けていた。
「・・・」
三頭身ほどにデフォルメされたその人形は、黒いドレスに白いエプロンをあしらった服装で、大きな頭にはややウェーブのかかった長い黄色の髪がかかっている。やや勝ち気に見えるよう角度を調節してある眼や、にっと笑った口がなんとも可愛らしい。
だが、アリスは物足りなさを感じていた。なぜなら、彼女自身――こう呟くほどだから。
「これ・・・誰なんだろ」
その「事故」は、数年前に起きた。
魔法の森にある、一軒の魔法店。霧雨魔理沙という少女が経営する、こぢんまりとした店だ。
店なんていうのは名ばかりで、実際には接客はなってないし、自分が作りたい魔法をただひたすらに作り続ける魔理沙は、依頼を受けてもなかなか手をつけようとしない。店が繁盛するわけもなく、結局は彼女の魔法研究所になり果てていた。
・・・八百万の神々と戦い、異常天候続きを解決した数年後の話だ。魔理沙は、ただひたすらに暇な日々を送っていた。
とはいっても、この家の中にはいくらでも暇つぶしになる道具が転がっている。この家に昔住んでいた魔法使いの遺品がごろごろ転がっているのだ。そのうちのひとつである、何をしてもいっこうに開こうとしない小さな西洋式の箱が、今の魔理沙の研究対象だった。
外で日を浴びていた彼女は、うっそうと茂る樹木のせいで、多角形に切り取られたようにしか見えない空へと気晴らしに魔法で大きな星を飛ばすと、踵を返して家へと入った。
「さて、今日は何をしてやろうか」
その箱は、魔理沙にとって価値があって価値がないものだった。彼女にとって物理的に価値のあるものと言えば「明らかに魔法に関わっている面白いもの」くらいしかない。あとは食べ物程度か。そう考えればこの箱に価値など微塵も感じることはないだろう。
しかしまた別の観点から彼女を見てみれば、「面白い」あるいは「面白そうな」に惹かれるところから、わけのわからないような物品を好む習性がある。そしてこの箱もわけのわからない物品だ。故に、彼女にとって価値があって価値がないもの。
魔理沙はその宝石を散りばめた箱を手に取る。ずっしりとした重みを感じると、彼女はやや満足した表情でそれをまたごちゃごちゃした机に戻した。
次に魔理沙はその机に積まれた道具の中から八卦炉を取り出すと、慣れた手つきで箱をあぶり始めた。木をベースに上薬をかけて磨いたような箱であるから、無論表面が溶けて机にとろとろとこぼれ始める。ぶすぶすと煙をあげて、箱が燃え始めた。
「・・・よしっ」
なにが「よしっ」なのか自分でもわからなかったが、言ってみたかったので言った。
箱の角に、小さな穴が――
「・・・!」
その小さな穴は大きな成果だった。毎日あぶっていたが、穴が開いたのは今日が初めて。いつもなら途中で魔理沙の息が切れてしまって火力が弱まり、その拍子に箱は瞬間的にその形を再生してしまうのだ。机に落ちた上薬の滴や、木の焼けた部分から出た煙も、まるで映像を巻きもどすようにして吸い取る。いかなる構造なのか、魔法力を感知できる魔理沙には、その魔法力の強さは測れてもどんな魔法なのかはわからなかった。
そして、今回その穴から覗けたものは・・・
「はははっ、なんだこんなものが入ってたのか」
笑って魔理沙はそこに指を突っ込んだ。が、
「あっ・・・?」
箱の内部に、結界が張ってあった。
実のところその箱はこの家に住んでいた魔法使いのコレクションで、ある大魔法使いの「思い出」を形として封じ込めた代物だった。箱という小さなものの内側に結界とともにそれを封じた大魔法使いは、行方不明となっていた。
禁忌とさえされた神器だったのだ。だからこの家に住んでいた魔法使いは、それに外側からさらに魔法をかけて、外側からも封印した。自身の跡継ぎになるかもしれない少女に災難が降りかかるとも知らずに。
「星・・・?」
西、つまり神社の鳥居とは反対のほうにある縁側に座ってお茶をすすっていた霊夢は、空に大きな星が上がるのを見た。形状は数年前に終わらない夜の下で対峙した時に大量に舞っていたあの星と全く同じ。
「あんたも変わらないわねぇ」
知らず知らずのうちに霊夢はそんなことをつぶやき、巫女服を整えると、空へ――魔法の森へと飛び立った。
「か・・・はっ・・・?」
指を伝って流れた結界による呪いが、
「く・・・ぐぅふっ」
魔理沙の息の根を止めた。
がたんと大きく響く、椅子の倒れる音。
誰かが叫ぶ声。
余波を受けて飛び散ったミニ八卦炉が、床に横向きに倒れた魔理沙の頬に落ちた。熱いとか感じる以前に、魔理沙は頬にものが落ちたということを感知できていなかった。
「あ・・り・・・・・・す」
ただ、想い人の名前を最後に呟いて、魔理沙は意識を手放した。
「魔理沙!?」
吹き飛んだドア。もうもうと埃の舞う部屋で、魔理沙が倒れていた。
「魔理沙っ! なにしてるの!?」
魔理沙なら、ここでむくりと起き上がって「ちょっと失敗しちゃってな」くらい言いのけてくれそうなのに、起き上がってもくれない。
「まり・・・さ・・?」
「あ・・り・・・・・・す」
その言葉をやっと聞き取り、意味を理解して、霊夢は絶句した。二つ以上の意味で。
「やっぱり、私よりアリスの方がいいのね」
涙が流れていた。それを拭おうともせず、霊夢は部屋に充満する邪気に気を向けた。
「何よこれ、なんなの」
袴をまさぐって、札を取り出す。邪気をもろに食らったらしい魔理沙に清めの札を貼ってやると、息がゆるやかに・・・ならなかった。
「え?」
止まっていた。既に、という条件付きで。
「い、や・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
盗みを働き、わけのわからない店を魔法の森などという辺境で開き、巫女につきまとっては異変の解決に身を乗り出す白黒魔法使いの死は、瞬く間に幻想郷中に知れ渡った。
ここまで伝達するスピードが速いと、なにか笑いがこみあげてくるほど可笑しい気分になる。このニュースが、嘘なんじゃないかと思えてくる。
「ある二人から愛された、幻想郷じゃ名の知れた将来有望な人間魔法使いの早すぎる死」などと題名をうった新聞が、現実味をわずかながら引き出していた。
――二人。博麗霊夢ならびにアリス・マーガトロイド。
想いを伝える前に、想い人がいなくなった悲しみをだれが想像できようか。・・・この文句も新聞に書いてあった文句だ。霊夢もこの時ばかりは、この新聞の記事を肯定せずにはいられなかった。
無論人形遣いにもそのニュースは届いた。人形が運んできた新聞をめくれば、その見出しに目が行く。
「は・・・?」
暫く意味が理解できなかった。今日って、4月1日だったっけ?
意味が頭に浸透してきたころ、人形遣いは人形に囲まれて涙を流していた。
泣いていた時間はそう長くない。賢い人形遣いは、針と糸を手にして、人形を作り始めていた。――自らを見失う前に、愛の証を残すために。
巫女と人形遣いは自然に、より交友を深めていった。あれから何日も過ぎた後で、霊夢がすべての元凶となった箱を持ち出してきた。
霊夢が箱の結界を解いて――外側の魔法は魔理沙がとっくに焼き払っていた――中身を取り出したところ、巨大な宝石が出てきた。
「・・・はあ?」
魔理沙と同じ職業というか種族であるアリスの話を聞く限りでは、これは禁忌として封印されておくべきだった品物らしい。どこをどのように通ってあの魔法使いの手に渡り、それが魔理沙を死に至らしめたのかは全く不明だったが。
出てきた宝石は、液体のように箱にぴったりサイズを合わせていたが、いったん箱から落ちると、その透きとおった青い色のまま形を丸く変えた。水晶玉にしか見えない。
曇った宝石の内側は、ただもやもやとした空間を映し出すのみだった。アリスと二人でそれを転がしてみたり拭いてみたりしたが、どうにもならない。マジックアイテムらしく、傷がつくこともない。思い切ってお祓い棒でぶっ叩いてみたが、割れるどころか凹むことすらない。
「魔法・・・かけてみる?」
提案したのはアリスだった。霊夢はただ、静かに一度だけ頷いた。
「――――――」
霊夢には理解できない言葉を発しながら、アリスは水晶玉に手をおいた。とたん、水晶玉が内側から発光し始める。
網膜から後頭葉に伝達されたその光は、二人の脳内のある記憶をピンポイントに消し去った。
「あっ!?」
「しまった、トラップ!?」
記憶が消えたということがまず認知できなかった二人は、ただ割れて真っ二つになった水晶玉を唖然として見ていることしかできなかった。
「何もないみたいね」
「そうね。割れたけど」
がくっと肩を落とすアリス。消えた記憶の所為ではない。このマジックアイテムが効力を失ったことに対する純粋な「もったいない」という気持ちだった。
「もういいわ。なんだかよくわからなかったし・・・ありがとね、アリス」
想い人を想わなくなった紅白巫女は、想い人が減った七色の人形遣いに別れの挨拶をして、飛んでいった。
あれから何年がたったろう。霊夢は依然として巫女を続けているし、周りの連中だって人間はちょっと年をとったけれどほとんど変わっていない。「変化」なんて、ない・・・。
「誰なのよ、あなたは」
アリスは十数体並んだその白黒の服装の人形を、指で軽く小突いた。にっと笑った顔がなんとも可愛らしく、生き物ではないそれに淡い恋心を抱いてもいた。
「どうしたっていうのかしらね、私」 昔はこんな風に、人形に恋をするなんてことはなかった。少なくともあの春、・・・
記憶が続かなくなった。 「つうッ・・・」
あの何年間かの間に、なにか空白がある。本来空いてないスペースのはずなのに、白く抜けたその風景の一部分。そこを思い出そうとすると、決まってとんでもない頭痛が始まり、思考が鈍くなる。
きれいに片付いた机から引っ張り出す、色褪せた新聞の一面。そこに、知らない魔法使いの名前が載っている。
「誰なのよ、ほんとに」 ――写真もあったのだけれど、気付いたら視界に入らなくなっていた。
――写真もあったのだけれど、気付いたら視界に入らなくなっていた。
誰も霊夢に、そこに写真があるとは言わなかった。否、言えなかった。想い人を失った悲しみから、精神的なダメージで脳がそれを拒否したのだと誰もが間違った見解で言いとどまっていた。
霊夢はアリスと体を重ねることを知った。人のぬくもりに包まれる幸せを、霊夢は知った。だが、次に体を重ねあい、お互いに絶頂を迎えた時、お互いの口から同時に信じられない単語が発せられた。
「「魔理沙」」
アリスがあわてて布団を羽織りながら机に走り、足をもつれさせて転んだりしているうちに、何も体に身につけていない霊夢はさっさと新聞を取り出すと、ランプの光の下それを読み上げた。
「・・・・・・得体のしれないマジックアイテムの暴発で亡くなった普通の白黒魔法使いこと霧雨魔理沙・・・あったわ!」
「魔理沙・・・魔理沙・・・」
はっとアリスが顔をあげる。
「白黒ってもしかしたら」
アリスがショーケースの蓋を開くと、そこにはきれいに並んだ白黒の服装の人形・・・つまり、霧雨魔理沙が大量に並んでいた。
霊夢の意識はフラッシュバックした。
「どこに埋葬するってのよ」
霊夢はスキマ妖怪こと八雲紫に尋ねた。
「神社に」
紫はそう呟くように言った。続けて、
「その方が、あなたも魔理沙も喜ぶんじゃなくて?」
「私は喜ぶかもしれないけど、魔理沙は・・・」
「大事なのは、生き残った者が死者をどう見るかなのよ」
紫はそう言い切ると、藍と橙に土を掘らせ始めた。
「ちょっと、人間は焼いて骨にしてから埋めるものよ」
霊夢が咎める。
「黙ってなさい。・・・あとで焼いたら承知しないわよ」
「そんな勝手な・・・!」
会話をしているうちにどさどさと魔理沙にかかる、恐ろしく仕事の早い式神たちの涙が混じった土。神社の裏手の丘に、その骸は葬られた。
「霊夢、ちょっと大丈夫!?」
くず折れた霊夢を、アリスが支えている。どうしようもなく震える足が、霊夢自身を支えていなかった。
「魔理沙が、神社の裏に・・・!」
それだけ言うと、霊夢はまた眼を閉じてしまった。
「魔理沙って・・・まり、さ?」 デフォルメされていない、人間の魔法使いの顔が、頭に浮かんだ。もう細部まで思い出すことはできないくらい忘れてしまっていたけれど、あの子供っぽい笑顔だけははっきり思い出すことができた。 「うぅ・・ああっ・・・?」 とめどなくあふれる涙。もう流さないと思っていたのに。
精神的に破壊しつくされてしまったアリスには霊夢からのわずかなヒントが最後の頼りになっていた。だがしかし、ヒントを掴んだうれしさや安心感で体が弛緩して動かない。今日はあきらめようと、アリスは床に寝ている霊夢の横に身を下ろすと、布団を霊夢と共有して眠りに落ちた。
「で、なんで急に墓参りなのよ?」
――記憶を取り戻したのは、どうやらアリスだけだったようだ。霊夢は昨日の絶頂を迎えたあたりから記憶がないと言っている。
「いいから、ちょっと来て」
霊夢の手を無理やり引っ張って、空をめいっぱいスピードを出して翔る。風が気持ちよかった。
「アリスっ、ちょ、早いぃっ!」
ぐんぐん上がるスピード。記憶を失っていた時間が長すぎたが故に、たとえ命を失っていようとも魔理沙の顔が見られるかもしれないと強く思っていた。その想いが、自然とアリスの飛行スピードを上昇させていく。軽く自己最高記録は塗り替えたろう、あっという間に、博麗神社の上空に達していた。
「しばらくぶりじゃないか、閻魔様」
白黒魔法使いは冥界に入る前に、半分寝ている小町に案内されながら三途の川を渡り、その先にある御殿で閻魔と対面していた。
「早いですね」
何がだよ。
「こちらに来るのが」
「ああそうかい。私だって死にたくて死んだわけじゃないんだ」
閻魔こと四季映姫・ヤマザナドゥは、その言葉をただ静かに受け止めた。
「・・・多くの盗みを働いたその罰、地獄送りなどでは済まされない・・・ですが、地獄送りがこの場所における最高の罰だから仕方がありませんね」
魔理沙の顔がこわばる。最初からわかりきっていた判決だけれど、いざ言われてみると胸の奥がずきずきと痛んだ。
「昔聞いた話しだとな、・・・地獄に行くとしばらくは転生できないらしいじゃないか」
「その通りですが」
「それこそ妖怪が一生に費やすくらいの時間だったか。私はそんなの御免だ。もう一度アリスに会って、私の気持ちをちゃんと伝えるんだ」
やけに力のこもった言葉だった。だが、映姫の判決を覆せるはずもなく。
「黒です。私には白黒はっきりつける程度の能力しかありません」
暗に、あんたはどうあっても地獄に送ると言っているわけだ。魔理沙は憤りを感じずにはいられなかった。
幸い魔力はここでも普通に使える。呪いはだいぶ前に霊夢が解いていたから、体に支障はない。魔理沙はありったけの魔力で、箒を使わず自分の身を後ろにぶっ飛ばした。
三途の川の上空を通り過ぎる。このような事態を想定して配置されているはずの小町は、ボートで爆睡していた。
前から飛んでくるのは映姫のスペルカードによる攻撃だろう。ラストジャッジメントのその威力は、一度見たら頭から離れない。いきなり最強の攻撃を受けた魔理沙は、紙一重でその極太の光を避けた。
自らもスペルカードを発動する。いつかパチュリーから教えてもらったものを霧雨流にアレンジしたスペルカードだ。
「ノンディレクショナルレーザー!」
映姫のラストジャッジメントに勝るとも劣らない純粋な魔力のレーザーが、御殿をきれいに切り裂く。威力だけなら勝っているだろう。小さな星たちのきらめきが、映姫を捉えた――
アリスは必死に土を掘っていた。
「あんたいつから墓荒らしになったのよ」
そんな霊夢の呆れた声も耳には届かない。霊夢には、新聞の写真は見えていないし、これからこの下から出てくる死体の顔を見ても何も思わないのだろう。
「・・・つッ」
霊夢の顔が、歪んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
アリスはその顔を見て悟った。霊夢も、記憶を蘇らせようとしている。
「大丈夫だから、あんたは自分のことだけ・・・あうぅ・・・」
ふらふらとよろけながら、霊夢は少し離れた神社へと歩いて行ってしまった。
ようやく土を掘り終わって出てきたのは、紛れもない霧雨魔理沙自身の体だった。何故か、あの頃と全く変わらない服装で、皮膚が土に分解された様子もない。
「何かしら・・・?」
思わず魔理沙の胸に耳を当ててみたがもちろん脈はない。しかし、アリスにはこの体がある種の力場に護られていることが分かった。
「スキマ妖怪ね」
時間の境界を弄っていたのだろうか。時間逆転や時空停止などはあのメイド長の得意技だった気もするが、彼女もここまで暇ではあるまい。ならば・・・
「あら、人形遣いじゃないの」
「やっぱりスキマ妖怪の仕業か」
アリスが振り返ると、今まさに隙間からはい出してきたと見える八雲紫の姿があった。
「何の用なの?」
数年ぶりの邂逅だ。この妖怪なら確かに暇で、この程度の境界ならいともたやすく動かすだろう。
「私だってその娘が死んだことは残念に思ってるの。このくらいしてあげても、誰も怒らないでしょう?」
質問の答えになっていない。アリスは憤りを感じると・・・理性が飛んでいた。
「ただの冒涜よ、そんなのッ!」
「あら、あなたに怒られる筋合いもないわ。この幾年か、この神社のせいで魔理沙はほとんど誰からも花を手向けてもらってもいないし、あなただって記憶喪失ですっかりだったみたいだものね」
痛いところを突かれた。
「さらに言えば。彼の世から魔理沙を引きずり出すことだって」
「いい加減にしてよ! 冒涜だって言ってるのがわからないの!?」
そこで、アリスの肩になにかずっしりとした重みがかかった。霊夢だ。
「紫、今、何て言った?」
冷静に聞いていれば問題なく聞き取れていたであろう重要な部分を、アリスは遮ったばかりか、聞き逃していた。
「魔理沙を生き返らせる・・・っていうのはちょっと語弊があるけれど、とりあえずそういうようなことはできるわ」
アリスは嬉しさと自己嫌悪でくず折れた。同時に紫の言葉の意味が浸透してくる。
霊夢が呟くように言った。
「もう思い出したわ。あんな死に方した魔理沙を、完全に忘れるなんて無理。・・・紫、詳しく聞かせなさい」
アリスが抱えていた魔理沙の亡骸を覗き込んだ霊夢は、顔をあげて紫を見た。感情などこもっていない、冷たい視線で。
「いいわ。その前に・・・冷えるから中に入ってお茶でも出してもらえないかしら」
どこまでも図々しい妖怪である。
やや冷めたお茶をすすりながら、アリスは紫の言葉を反芻してみる。今は霊夢と紫は魔理沙の亡骸をきれいにするために別の部屋にいるらしい。
「生き返るには、閻魔からどうにか許可を得て此の世に戻る必要があるって・・・無理だわ、どう考えても」
肩に乗っていた上海人形が、アリスを真似て考え込むポーズをとる。それが可愛らしくて、でもそれを見ていると、自分が作り続けていた魔理沙の人形のことばかりが頭に浮かんできて、どうにもやりきれない気持ちを抱えてしまう。
どのみち、今は紫にもどうすることはできない。紫がかかわる段階に至るまでに、魔理沙が此の世に魂を戻してもらう必要がある。そこで初めて、紫が生と死の境界を弄って生き返らせることができるという。魂がなければ生きていたところでそれこそただの人形だ。
「私たちにはどうすることもできない・・・魔理沙が帰ってくることを望む保証もない・・・」
そこが問題なのだ。魔理沙が彼の世での生活に満足してしまえば、此の世に戻ってくることなど考えもしないだろう。ついでに、聞く話では閻魔は白黒はっきりつけるのが大好きなようで、魔理沙ほど盗みを働いたものなら黒にしかなれないらしく、魂を戻す許可など下りるはずがないのだ。
「帰ってきてよぉ・・・まりさ・・・」
今はアリス以外誰もいないその和室で、アリスは思いっきり涙を流した。
「だから部屋から出なさいって言ったのよ」
「あんたこんなことまで見透かしてるわけ?」
隣の部屋から障子に穴をあけてアリスの行動をうかがうなんて最悪だと思っていたが、あんなヘビーな話をされた以上アリスが自害してもおかしくはない。せっかく見つけた魔理沙の手がかりが無為になるかもしれないのだから。
「止めるのはあんたよ、博麗」
「な、なんで私がっ」
しばらくはこのスキマ妖怪と一緒にいることになりそうだ。
アリスは持ってきていたかばんの中から白黒人形を一体取り出した。一番大きいそれは、完全に魔理沙の特徴を受け継いでいて、なんだか頼もしいくらい。アリスは人形を抱きしめると、ころんと畳に転がった。
「魔理沙・・・会いたいよ、早く・・・」
普通眠りに落ちていたと思うのは起きてからだ。しかし、アリスは寝ていながら夢の中にあると自覚していた。なぜなら、本物の魔理沙が動いて魔法を使っているのが鮮明に見えたから。
しかし、魔理沙は劣勢だった。
三途の河の上空に魔力で浮かぶ魔理沙は肩で息をしているような状態で、小町と映姫を敵にしている。どうか、勝ってほしい。
アリスの気持ちが届いたのか、魔理沙が機関銃のように小さな星を連射する。小町が鎌で弾こうとするが、弾ききれずに落ちていく。あの傷つき具合だと、もう戦線復帰は無理だろう。が、映姫はほぼ無傷だ。未だ魔理沙が圧倒的劣勢に立たされているのに間違いはない。
アリスは、人形を手繰るために魔法の糸を展開した。自身は上海人形を握る。
「このッ・・・!」
上海がレーザーを・・・撃たなかった。夢の中のはずなのに、想像力を使ってどうこうという話ではないらしい。しかし、映姫がこちらに気づく様子もない。
――アリスは空気と化していた。
「小町・・・!?」
映姫はやや焦っていた。閻魔として強い力を持ってはいるが、魔理沙には一度打ち負かされた経験がある。幻想郷の花々が狂い咲いたあの異変のときだ。
「ですが、負けるはずはありません」
自分に言い聞かせるようにしながら、映姫は弾幕を展開する。どこからともなく錫杖を飛ばして、自身も弾を放ち、鳥の形を持った霊魂を発する。
対する魔理沙は傷だらけで、魔力もほとんど残されていない。オプションを展開し、弾幕を避けながらピンポイントでレーザーを発射する。光速で飛ぶレーザーは、しかし一発として映姫には命中していなかった。
頭にアリスの顔が浮かぶ。この戦いになんとか勝利しない限り、現世に戻ることができない。彼女に逢うことも許されない。
「あきらめない、ぜっ!」 声に合わせて、手から簡易的な細いマスタースパークを放つ。八卦炉を所持していない今、魔理沙にマスタースパークを撃つことはかなわない。
・・・どん。 「!!?」 錫杖がかすったのかと思ったが、周りに弾は見当たらない。なんだろう。
「魔理沙!」 聞こえた声は――アリスのものだった。
「アリス!?」 一応答える。何メートルか先にいる映姫を見るが、まっすぐに魔理沙だけを見据えているのを見ると、魔理沙の後ろにアリスがいるなんてことではないらしい。幻聴か。
「良かった、夢で逢えて・・・」
夢?
これは夢などではない。れっきとした現実だ。
「夢じゃないぜ! 私はこんなところに用事なんてないッ」
オプションの展開数を4つに引き上げる。体が魔力の酷使に耐えきれず悲鳴をあげるが、今を耐えれば勝ちだ。
すっ、と体が軽くなる。
「私の魔力でいいなら、存分に使うがいいわ」
アリスだ。横にアリスがいる。見えないが、そっちを向くことすらかなわない激しい弾幕の中で身を躍らせているが、そこに在るアリスを感じ取ることができる。
「アリス・・・まったく、私がいないとそんなにさびしいのか?」
ふっと自嘲気味に笑って、先ほどの「どん」という重さを感じたところに左手を伸ばしてみた。以外にもエプロンのポケットだ。
「さびしいわよ、馬鹿っ」
泣くな、泣くなよアリス。 「泣かない方がおかしいわよ、こんな状況で・・・!」
「・・・八卦炉!?」 アリスの言葉を聞きながらも、魔理沙は戦闘に集中しなければならない。アリスの言葉の一つ一つに応えているわけにはいかない。だが、ポケットの中に入っていたものの形状を探り当てたときにはさすがに驚いた。さっきまでここには何も入っていなかったはずだ。
しかしそれを手にしたとき、魔理沙は勝利を確信した。アリスから受けた魔力の供給もあってか、体はさっきからやたらと軽い。
「いけるぜ。勝てると思うんじゃないぜ、この霧雨魔理沙さまに!」
宙返り、高速移動、オプションの巧みな配置と攻撃方法の変更。オプションからはミサイルで弾幕を張りながら、映姫の目の前に魔理沙自身を持っていく。オプションがいくらかの錫杖や鳥と衝突しながらも、なんとか行けた。
「恋色の魔法、見せてやるぜ」
「なぜ、さっきまで飛ぶのがやっとの状態だったはず・・・」
うろたえる映姫の目の前で、霧雨流最強の魔法マスタースパークが炸裂した。
「ん・・・」
魔理沙が身をよじった。苦しそうに首を動かして、しばらくすると黙った。
「生き返ったわ。・・・信じられないけど」
魔理沙がマスタースパークを放った時点で、アリスの意識は深い眠りへと落ちて行き、そこで彼の世との関係は終わっていた。眠っている中でも感覚は鋭敏に働き、深淵へと意識が落ちたことまでもが感知できていた。泣き疲れたんだろうな、自分、などと考えながら、アリスは鋭敏な感覚を手放して、普通の眠りに入った。
霊夢と紫はそこで漸くアリスを布団に寝かせてやった。外ではとっくに紫が魔理沙という存在の生と死の境界を弄り、魔理沙は息吹を取り戻していた。
「やっと終わったのね。・・・ううん、これから始まるんだ」
霊夢は誰にともなくつぶやいた。きっと次にこんな感傷に浸るときは横に魔理沙がいて、そんなの霊夢らしくないぜとか何とか言って小突いてくるんだろう。
「じゃあ、私は帰るわ。昼間から起こすなんてあなたたちもやってくれるわよね」
紫は眼尻に涙を溜め始めた霊夢に背を向けると、スキマを展開した。
霊夢とアリスが腫れぼったい瞼を開くころ、魔理沙はきれいないつもの魔法使いの服装のまま博麗神社の縁側に放置されていることに気づき、飛びあがらんばかりに驚いた。
「わ、わ、わ・・・私はいったい・・・」
きょろきょろとあたりをうかがう魔理沙に、仲良く眠る二人の姿が映る。ちょっとばかり背の伸びた巫女と、何も変わっていない人形遣い。巫女のポジションにやや嫉妬を感じながらも、白黒魔法使いはその真ん中へ身を投じた。
「アリスも霊夢も、大好きだぜっ!」
その日を境に、白黒の人形はすべて人形遣いの元を去ったという。
だが人形遣いは白黒人形に感謝していた。あの眠りの中見えた光景は、白黒人形が伝えたものだと信じていたから。
――人形は、何も語らない。
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百合ですね。苦手な人は回避してください。
あと何だか暗い話になってしまいました。そう言うのが苦手な人もまわれ右。
2話とは言ってますが続きものってわけでもないので、ひとつくらい抜かしてもたぶん問題ないです。
では大丈夫な人は↓へどうぞ♪
百合ですね。苦手な人は回避してください。
あと何だか暗い話になってしまいました。そう言うのが苦手な人もまわれ右。
2話とは言ってますが続きものってわけでもないので、ひとつくらい抜かしてもたぶん問題ないです。
では大丈夫な人は↓へどうぞ♪
私――何の変哲もない女の子、詩乃は、読みかけの物語を閉じて定刻通りベッドに入ることにした。
閉じた本の表紙が視界の端に映る。・・・国境を超えた大恋愛を描いた長編小説だ。私は登場人物たちのそれぞれの思惑や思想、感情、そして愛情が複雑に絡んだこの物語が大好きだった。ある国の王女様が、どうにも私の姿とダブって見えて感情移入がしやすいというのが主な理由であったかもしれないが。
天蓋付きの大きなベッド。私は靴を脱いで裸足になり、ベッドにもぐりこむ。カーテンを閉めれば、小さな密室気分の出来上がりだ。目をつむれば、すぐにでも夢の世界に行くことができる。
私の夢は少々おかしい。いつも同じ場所に自分がいて、いつも同じ人と連れ立って遊んだり、仕事に従事してみたりするのだ。夢の中ですることはさまざまだけれど、私の夢に出てくる人物はいつもほとんど変わらない。・・・いや、正確には毎回変わっているのだが。
その毎回変わっている部分というのは、みんなの成長度合いだ。現実の私と同じように、夢の私も成長するし、周りの人物も成長する。つまるところ、夢と現の二つの世界は時間軸を共有しているのだ。
私は目をつむることにする。
「今日は、どんな夢かな」
などとつぶやきながら。
「詩乃っ」
「ぅわっ」
私がベンチに出現するなり、琴夢が半ば飛行するかの如く飛びついてきた。
まあ、よくあることだから私はあんまり気にしていない。それよりも、
「今日は何する?」
そのことの方が大事である。
「そうねぇ・・・」
琴夢が思案し始める。
中世ヨーロッパ風のこの街並みには、意外と近代的な設備もそろっているし、ちょっと大通りから外れて小道に入れば洒落た小物屋や、隠れ家的喫茶店もある。表の大通りには商店街はもちろん、いわゆる雑居ビルのような店がいくつも入ったビルもある。どこが中世なんだとつっこまれそうだから一応説明すると、中世を感じさせるのは町並みであり、人々の格好や顔つきであり、そして何よりも私たちの貴族のような服である。
「・・・よし」
琴夢が頭の回転を止め、手をポンと打つ。何かいいアイディアが浮かんだらしい。私は期待しながら琴夢の顔を見る。
「カフェ行こう。たまにはゆっくりお茶っていうのもいいじゃない?」
・・・カフェ、遠いんだけど。
結局私は何も思いつかなかったし、今週は琴夢が行動決定権を握っているので、私は渋々大通りの長い道のりを歩いた。琴夢は上機嫌にステップを踏みながらスカートをひらひらさせていた。いつもの大通りから外れ、Starlight Coffeeという、裏通りのカフェに入る。
レンガ造りの店には、外観とは裏腹に自動ドアが整備され、店内は白熱灯が煌々と輝く現代風の店だ。私たちは空いているテーブル席にさっと身を滑らせ、やわらかい椅子に深々と腰掛けた。
カフェというのは、軽い食事をしに来る人、集中して作業を行いたい人、読書をしたい人、そして私のように時間をつぶしに来る人、さまざまな人々が集まる場所だ。もちろん、別段目的意識があってきているわけではない人も多いだろうが。
そして今日もカフェは、その人々を包み込んでくれている。私の隣の席に座っている、大きな帽子を目深にかぶっている青年と思しき人物は、ブラックコーヒーをすすりながら文庫本を片手に、キセルをくゆらせている。
「ねぇ、何にする?」
琴夢がメニューを私に押しつけてきた。見れば、私が回りを観察しながら考え事をしている間に注文を済ませてしまっていたらしい。素早い人だ。
少し考えて、私は琴夢と同じ紅茶を注文することにした。どこかの高級な茶葉をたっぷり使い、ミルクティーやレモンティーにしても美味しくいただけるという売り文句が、メニューに大きく書かれていた。
「じゃ、これ」
私が琴夢にそう言うと、琴夢はなぜか首を横に振った。わかってないなぁ、といった風だ。
「違うの、頼んで」
「えー」
仕方なしに私はカプチーノを注文する。琴夢の思惑はよくわからないが、従っておいた方がいい気がした。
「これでいいでしょ?」
そう聞けば、
「うん」
こうにっこり返されるから不気味だ。
ちょうど昼食時だから、という理由で、私たちはピザを一枚頼んだ。トマトと水牛のチーズがベースの、ヘルシーながらごく普通のピザだ。私たちは少し前に購入したばかりのドレスを汚さないよう気をつけながら、それを頬張った。
「はふ、はふっ、あふいっ」
なんて口から蒸気を吐いている琴夢を他所に、私は火傷しないよう、小さく切り分けたピザを端から少しずつ侵略していく。琴夢は恨めしそうに、ピザにかじりついたまま上目遣いで私を睨んでいた。
お互いピザも最後の一口、というときに、琴夢が手に持ったそれを私の口に押し込んできた。
「むぐっ!?」
「ほら、詩乃も私に、っむぐぅ!」
言われなくても仕返しするに決まっている。
「・・・ごくん。ふふ、やったわねぇ?」
「何よ、先にやったのは琴夢じゃないの」
私たちは、空になったピザの皿をはさんで、視線をぶつけて火花を散らせている・・・というのは違っている。これはただの、お互い無言で了承済みの戯れなのだ。
「あぁ、そうだったわ」
くつくつと琴夢が笑い、視線が外れたところでこれは終わり。何の意味があるのかと訊かれたら確かに意味はないが、私たちの間での遊びの一つなのだ。
隣から、青年の目深にかぶった帽子の下から、訝しむような表情が覗いていた。
会計を済ませ外に出ると、日が傾きかけていた。真鍮の懐中時計を開き、時間を確認する。4時前だった。
「もう、時間かぁ・・・」
横で勝手に懐中時計を覗いていた琴夢が、大きなため息をつく。それは決して大げさなのではなく、琴夢の心中の気の重さがそのまま表れているだけだ。
「そうだね」
特に何を思うでもなく、私はそう返す。ただ、いつもの眠りと目覚めの繰り返しが行われるだけなのだから。
だが、琴夢が決してそんな軽い思いでいるとは私も思っていない。
「・・・」
琴夢が、後ろから私に抱きついてきた。ぎゅっと、首に腕が回され強く抱擁される。
「明日も、ちゃんと来てよ・・・詩乃・・・?」
私は、私の首の前で固く組まれた手をさすってやり、ゆっくりと身体を回して琴夢と対面する姿勢を取る。はたから見れば完全なる恋人同士の熱いひと時、といったところだったろう。だが、私は気にしない。この世界は私にとっての夢。そして琴夢も気にはしない。琴夢にとって、現実とは私の存在に他ならないのだから。
私がベンチに座ると、琴夢が覆いかぶさるようにして求めてくる。
「んっ・・・」
唇が、柔らかい感触を捉える。琴夢の唇だ。
「ふっ・・・」
口同士が触れる程度の、バードキス。
しばし見つめ合う。琴夢の目から流れた一滴の涙を、私は舌で受け止めてやった。
私が起きている間すなわち現実側で生活している間、琴夢やこの世界はどうなっているのだろう。この世界を、琴夢を創造したのは私の頭のどこかであるはずなのに、わからなかった。それとも、忘れてしまったのだろうか。
なんて考えていると、もう日が沈みかけていた。
「ねぇ、詩乃?」
まぶたが赤い琴夢が、無理に笑った顔で問いかけてくる。
「ん?」
「詩乃は、・・・私と別れる時、つらく・・・ないの?」
琴夢は精一杯笑っていた。ひきつらせながらも、懸命に。
もう何度もやった問答だった。小さい頃から、何度も何度も。
「・・・つらいよ。でも私にだってしなくちゃいけないことがある。いつまでも寝ているわけにはいかないの」
琴夢は、それでも笑っていた。
天蓋付きベッドの上、私はさっぱりしない目覚めを迎えた。
何も考えず、無駄な動作一つせず、私は机の上に置いてある夢日記に今日の夢での出来事を綴る。日記のところまで来るまでは冷めきっていた頭が、ここにきて理性を感情が打ち破っていた。
ペンでノートを殴るようにして字を綴っていく。
――私だって、琴夢ともっと遊びたい。
でも、私にとっての琴夢は虚構。現実にだって、私は生きていなければいけない。
――私だって、琴夢のことが誰よりも大好きだ。
でも、私にとっての琴夢は虚構。虚構に恋するなんて間違っている。何より、私も琴夢も女。
――私の世界に、理不尽や不可解が多すぎる。
でも、それが真理。もとい、心理。
私は、感情を理性で押し殺すことに快感を覚え、そしてそうすることによってしか自分の存在意義を知ることができない人間だった。
時計を見る。
午前7時15分を、時計は無機質に示していた。
閉じた本の表紙が視界の端に映る。・・・国境を超えた大恋愛を描いた長編小説だ。私は登場人物たちのそれぞれの思惑や思想、感情、そして愛情が複雑に絡んだこの物語が大好きだった。ある国の王女様が、どうにも私の姿とダブって見えて感情移入がしやすいというのが主な理由であったかもしれないが。
天蓋付きの大きなベッド。私は靴を脱いで裸足になり、ベッドにもぐりこむ。カーテンを閉めれば、小さな密室気分の出来上がりだ。目をつむれば、すぐにでも夢の世界に行くことができる。
私の夢は少々おかしい。いつも同じ場所に自分がいて、いつも同じ人と連れ立って遊んだり、仕事に従事してみたりするのだ。夢の中ですることはさまざまだけれど、私の夢に出てくる人物はいつもほとんど変わらない。・・・いや、正確には毎回変わっているのだが。
その毎回変わっている部分というのは、みんなの成長度合いだ。現実の私と同じように、夢の私も成長するし、周りの人物も成長する。つまるところ、夢と現の二つの世界は時間軸を共有しているのだ。
私は目をつむることにする。
「今日は、どんな夢かな」
などとつぶやきながら。
「詩乃っ」
「ぅわっ」
私がベンチに出現するなり、琴夢が半ば飛行するかの如く飛びついてきた。
まあ、よくあることだから私はあんまり気にしていない。それよりも、
「今日は何する?」
そのことの方が大事である。
「そうねぇ・・・」
琴夢が思案し始める。
中世ヨーロッパ風のこの街並みには、意外と近代的な設備もそろっているし、ちょっと大通りから外れて小道に入れば洒落た小物屋や、隠れ家的喫茶店もある。表の大通りには商店街はもちろん、いわゆる雑居ビルのような店がいくつも入ったビルもある。どこが中世なんだとつっこまれそうだから一応説明すると、中世を感じさせるのは町並みであり、人々の格好や顔つきであり、そして何よりも私たちの貴族のような服である。
「・・・よし」
琴夢が頭の回転を止め、手をポンと打つ。何かいいアイディアが浮かんだらしい。私は期待しながら琴夢の顔を見る。
「カフェ行こう。たまにはゆっくりお茶っていうのもいいじゃない?」
・・・カフェ、遠いんだけど。
結局私は何も思いつかなかったし、今週は琴夢が行動決定権を握っているので、私は渋々大通りの長い道のりを歩いた。琴夢は上機嫌にステップを踏みながらスカートをひらひらさせていた。いつもの大通りから外れ、Starlight Coffeeという、裏通りのカフェに入る。
レンガ造りの店には、外観とは裏腹に自動ドアが整備され、店内は白熱灯が煌々と輝く現代風の店だ。私たちは空いているテーブル席にさっと身を滑らせ、やわらかい椅子に深々と腰掛けた。
カフェというのは、軽い食事をしに来る人、集中して作業を行いたい人、読書をしたい人、そして私のように時間をつぶしに来る人、さまざまな人々が集まる場所だ。もちろん、別段目的意識があってきているわけではない人も多いだろうが。
そして今日もカフェは、その人々を包み込んでくれている。私の隣の席に座っている、大きな帽子を目深にかぶっている青年と思しき人物は、ブラックコーヒーをすすりながら文庫本を片手に、キセルをくゆらせている。
「ねぇ、何にする?」
琴夢がメニューを私に押しつけてきた。見れば、私が回りを観察しながら考え事をしている間に注文を済ませてしまっていたらしい。素早い人だ。
少し考えて、私は琴夢と同じ紅茶を注文することにした。どこかの高級な茶葉をたっぷり使い、ミルクティーやレモンティーにしても美味しくいただけるという売り文句が、メニューに大きく書かれていた。
「じゃ、これ」
私が琴夢にそう言うと、琴夢はなぜか首を横に振った。わかってないなぁ、といった風だ。
「違うの、頼んで」
「えー」
仕方なしに私はカプチーノを注文する。琴夢の思惑はよくわからないが、従っておいた方がいい気がした。
「これでいいでしょ?」
そう聞けば、
「うん」
こうにっこり返されるから不気味だ。
ちょうど昼食時だから、という理由で、私たちはピザを一枚頼んだ。トマトと水牛のチーズがベースの、ヘルシーながらごく普通のピザだ。私たちは少し前に購入したばかりのドレスを汚さないよう気をつけながら、それを頬張った。
「はふ、はふっ、あふいっ」
なんて口から蒸気を吐いている琴夢を他所に、私は火傷しないよう、小さく切り分けたピザを端から少しずつ侵略していく。琴夢は恨めしそうに、ピザにかじりついたまま上目遣いで私を睨んでいた。
お互いピザも最後の一口、というときに、琴夢が手に持ったそれを私の口に押し込んできた。
「むぐっ!?」
「ほら、詩乃も私に、っむぐぅ!」
言われなくても仕返しするに決まっている。
「・・・ごくん。ふふ、やったわねぇ?」
「何よ、先にやったのは琴夢じゃないの」
私たちは、空になったピザの皿をはさんで、視線をぶつけて火花を散らせている・・・というのは違っている。これはただの、お互い無言で了承済みの戯れなのだ。
「あぁ、そうだったわ」
くつくつと琴夢が笑い、視線が外れたところでこれは終わり。何の意味があるのかと訊かれたら確かに意味はないが、私たちの間での遊びの一つなのだ。
隣から、青年の目深にかぶった帽子の下から、訝しむような表情が覗いていた。
会計を済ませ外に出ると、日が傾きかけていた。真鍮の懐中時計を開き、時間を確認する。4時前だった。
「もう、時間かぁ・・・」
横で勝手に懐中時計を覗いていた琴夢が、大きなため息をつく。それは決して大げさなのではなく、琴夢の心中の気の重さがそのまま表れているだけだ。
「そうだね」
特に何を思うでもなく、私はそう返す。ただ、いつもの眠りと目覚めの繰り返しが行われるだけなのだから。
だが、琴夢が決してそんな軽い思いでいるとは私も思っていない。
「・・・」
琴夢が、後ろから私に抱きついてきた。ぎゅっと、首に腕が回され強く抱擁される。
「明日も、ちゃんと来てよ・・・詩乃・・・?」
私は、私の首の前で固く組まれた手をさすってやり、ゆっくりと身体を回して琴夢と対面する姿勢を取る。はたから見れば完全なる恋人同士の熱いひと時、といったところだったろう。だが、私は気にしない。この世界は私にとっての夢。そして琴夢も気にはしない。琴夢にとって、現実とは私の存在に他ならないのだから。
私がベンチに座ると、琴夢が覆いかぶさるようにして求めてくる。
「んっ・・・」
唇が、柔らかい感触を捉える。琴夢の唇だ。
「ふっ・・・」
口同士が触れる程度の、バードキス。
しばし見つめ合う。琴夢の目から流れた一滴の涙を、私は舌で受け止めてやった。
私が起きている間すなわち現実側で生活している間、琴夢やこの世界はどうなっているのだろう。この世界を、琴夢を創造したのは私の頭のどこかであるはずなのに、わからなかった。それとも、忘れてしまったのだろうか。
なんて考えていると、もう日が沈みかけていた。
「ねぇ、詩乃?」
まぶたが赤い琴夢が、無理に笑った顔で問いかけてくる。
「ん?」
「詩乃は、・・・私と別れる時、つらく・・・ないの?」
琴夢は精一杯笑っていた。ひきつらせながらも、懸命に。
もう何度もやった問答だった。小さい頃から、何度も何度も。
「・・・つらいよ。でも私にだってしなくちゃいけないことがある。いつまでも寝ているわけにはいかないの」
琴夢は、それでも笑っていた。
天蓋付きベッドの上、私はさっぱりしない目覚めを迎えた。
何も考えず、無駄な動作一つせず、私は机の上に置いてある夢日記に今日の夢での出来事を綴る。日記のところまで来るまでは冷めきっていた頭が、ここにきて理性を感情が打ち破っていた。
ペンでノートを殴るようにして字を綴っていく。
――私だって、琴夢ともっと遊びたい。
でも、私にとっての琴夢は虚構。現実にだって、私は生きていなければいけない。
――私だって、琴夢のことが誰よりも大好きだ。
でも、私にとっての琴夢は虚構。虚構に恋するなんて間違っている。何より、私も琴夢も女。
――私の世界に、理不尽や不可解が多すぎる。
でも、それが真理。もとい、心理。
私は、感情を理性で押し殺すことに快感を覚え、そしてそうすることによってしか自分の存在意義を知ることができない人間だった。
時計を見る。
午前7時15分を、時計は無機質に示していた。
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百合かな?
キス表現あり。苦手な方は避けてください。
百合かな?
キス表現あり。苦手な方は避けてください。
私――何の変哲もないただの少女、詩乃。特徴は、毎晩必ず夢を見ること。そして、それを鮮明に記憶していること。
私の夢は、どうやら人に言わせるとおかしいらしい。私は夢に落ちると、必ずある場所にいるのだ。中世ヨーロッパのような、白い石畳の街。そこで私は、肌触りのいい、フリルのたくさんついた豪華なワンピースを着て、街の中心の噴水に面したベンチに座っているのだ。
・・・あぁ、眠くなってきちゃった。もう寝ようかしら。
夢に落ちる、この感覚さえ私は正確に記憶している。無論夢の展開は毎回ある程度は違うのだが、噴水による細かいしぶきを受けながらベンチに座っている場面から必ず始まる。
おかしなことに、夢の中の私と現実の私は寸分たがわず3D化されコンピュータの世界に入ってしまったような感じでもある。違うところといえば、身につけているものくらいか。現実世界の私は、夢の中の私のように豪華な服を着ることはないし、夢の中の私は、現実の私のように長い金髪を銀のリングでまとめたりはしない。まあ後者の場合は服に合わせたコーディネイトなのだろうから、違いとは言えないのかもしれないけれど。
そして「私たち」は、同じように成長してきた。生まれた頃の赤ん坊のときの夢の記憶はさすがにないけれど、4歳か5歳くらいから夢日記をつけているから、少なくともその頃から私は同じ夢を見ていることになる。正確には同じ夢というわけではなく、同質の夢とでもいうべきものか。ともかく、夢の中の私は現実の私が成長するに従って同じように成長してきたのであった。
・・・ほら、考えているうちに私はもうベンチに座っている。現実世界の季節とはリンクしていない、いつでも暖かな日差しが私を迎える。背後で轟音をたてながら落ちる水からのしぶきが、首筋に降り注いで涼しくさえある。そして、私はいつもここである人を待っている。・・・彼女、だ。
「しーのっ」
「あっ、待ってたんだよ!」
私を迎えにくるその人の名前は、琴夢。風景に似つかわしくない、日本人の名前。
やや黄がかった翠の透きとおるような美しい髪に、少し低めの身長。碧い瞳の目は滴りそうなほどの光沢を湛え、まるで宝石のような美しさを醸し出している。そして、この人は私と同い年・・・夢の中で成長する人だった。
――私たちは友達なのか?
答えは、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
――じゃあ他人か?
答えは、それはない。
恐ろしく曖昧な世界に、私と彼女はいるのだ。
琴夢が、私の隣に腰掛ける。私に体重を預けるようにして寄りかかり、長い髪をさらっと後ろに流して空を見上げる。雲ひとつなく真っ青に透きとおった空。いつもと変わりない、空。
「ねぇ」
琴夢が口を開く。
「なぁに?」
「今日は、何しよっか?」
「うーん・・・」
決定権は、ほぼ隔週くらいのペースで入れ替わる。今週は、私に決定権がある週だった。
「そうだねぇ、ウィンドウショッピングとか」
「いいね、そうと決まったら早く行きましょっ」
適当に言ったことだったが、琴夢は毎回喜び勇んで私の提案を受け入れる。したがって私も、彼女の提案を笑って受け入れる。どちらかが笑うことをやめたら、きっともろくも崩れ去ってしまう微妙な関係だった。
彼女も、私と同じようなワンピースを着ている。靴はハイヒールではないが、それでも割と高級そうな美しい革靴だった。たったった、と小気味いい音を立てて、琴夢が街の商店街へと走り出す。私も置いて行かれるまいと、同じような小気味いい音を立てながら走りだした。
「うわぁ、この服もいいかも」
琴夢は、服を選ぶのが好きだ。服と結婚してもよさそうなくらい服が好きだ。
「ねぇ詩乃、あの服私に似合うかな?」
琴夢が指さしているのは、ある服屋のショーウィンドウだった。金の縁取りがついたフリルだらけの白いスカートと、裾が長く襟付きの白いシャツに、その上から羽織るための水色のカーディガンのような柔らかそうな服がセットになっていた。全体的に薄い色調のため、琴夢の翠の髪ともよく合いそうだ。
「・・・うん、すごく似合うと思うよ」
「やっぱり! ところで詩乃は欲しい服ないの?」
もちろん私は自分に似合いそうな服を探している。しかし、持前の童顔と黄色に近い金髪のせいで、服に負けてしまうようなパターンが多いのだ。まるで服に着られているよう、とは私のためにある言葉なんじゃないかって思うくらい。
「うーん、ほしい服はいっぱいあるけど、似合うかどうかが問題なの」
私は素直にそう述べる。一瞬琴夢はしまったという表情を浮かべたが、すぐにそれを引っ込めて高々と宣言した。
「じゃあ、私が今日中に詩乃に似合う服を探してあげる!」
屈託なく笑う琴夢を見ていると、この人ならやってくれそうだという気持ちが不思議と沸き起こってくるのだった。
「ほーら、これなら詩乃にだって似合うわ。グッジョブ私!」
テンションの高い琴夢に対し、私は結構冷血で冷めた思考をする人間だった。それでも、人の好意を甘んじて受け入れられないほど馬鹿ではないし、恩知らずでもない。私は琴夢が選んでくれた服を店で買い求め、更衣室を借りてさっと着替えた。
その服は素晴らしかった。今まで着ていた服もかなり肌触りが良くてきれいな服だったけど、これに勝るものではなかったと思う。
明るい緑を基調としたチェック柄の上下セットで、ゆったりしたものだった。背中が開いていたり、胸元が大きく出たような派手なデザインではなく、一般庶民用という質素な感じが、私を引き立たせてくれるのだそうだ。ただし材料は一級品だし、そもそもこの街には庶民などいはしない。誰もが高級品を買い求め、豊かな暮らしを営んでいるのだから。
この服を選んでくれた琴夢はというと、隣の店でさっき自分で発見した服を買っていた。よっぽど気に入ったのだろう。ウィンドウショッピングといいながら彼女が服を買い求めるなど、滅多にないことだ。
店から出ると、琴夢も服を着替えて店から出てきたところだった。タイミングの良さにお互い笑い、そしてまた街を歩きだす。
「似合ってるよ、詩乃」
「琴夢、やっぱり綺麗だなぁ」
私がよっぽど羨望のまなざしで見ていたのだろうか、彼女は顔をそらすと、ポケットから何か出した。見せてもらうと、真鍮製の懐中時計。
「さっき服のついでに買ったのよ。ちょっと重たいけど、きっと詩乃が使ってたら似合うし、様になると思うのよね」
私は、その懐中時計を開いてみる。蓋の裏には写真が入るように小窓が設けられていて、見ればだいぶ前に撮影した、私と琴夢の写真が入っていた。にっこり笑った幸せそうな過去の私たちの顔を見て、思わず現在の私もにっこりと笑ってしまう。懐中時計は、夕方の4時過ぎを示していた。若干、心臓の鼓動が痛い。
「そろそろ、お別れの時間かしら」
琴夢が残念そうに言う。その声に、ずっと懐中時計に向けていた視線を琴夢に戻すと、不意打ちが来た。
――口同士が触れる程度の、キス。
「・・・っ!」
いつも行っている、別れの儀式みたいなものだ。今更恥ずかしがるほどのことじゃないと自分でも思うが、やっぱり頬が赤くなるのは止めようがない。顔を両手で覆うと、今度は、
「ほーら、悲しそうな顔しないの」
誤解されたらしく、琴夢が笑ってみせる。両手を離して琴夢の方を向いたが、その顔にも、しばしの別れへの悲しさが含まれていた。
「ありがと・・・」
無理やりその二つの意味を持つ一言だけを紡ぎ、私たちは無言でベンチに向かう。
そう。時間になると、私たちはベンチに吸い寄せられるように戻ってきてしまう。抗いがたい力で、物理的ではない不思議な力で引っ張られているかのような・・・。
「詩乃」
「ん?」
ベンチに腰掛けると、琴夢が私の肩に頭を預けてきた。身長も座高もわずかに私の方が上なので、肩に乗っかったりはしない。お互いまだ買ってから半日しかたっていない真新しい服に身を包み、こうして座っているのは、ほっと心の安らぐ時間だった。
今日一日何をしたのかを、頭の中で反芻する。ベンチに座っていると、いつも通り琴夢が来たこと。流れでウィンドウショッピングをすることになり、商店街へ繰り出したこと。何故か予定が変更になり、結局ショッピングになってしまったこと。・・・そして、琴夢からもらった、真鍮の懐中時計。きっと、宝物になる。
「詩乃、この前みたいにここにいない日があったら、私悲しいんだからね・・・」
「・・・うん」
私が現実側で徹夜でもしようものなら、夢を見ることがないため琴夢が困るということは、だいぶ前に知った。10歳頃だったろうか、私はある分厚い本に綴られた物語に夢中になり、夜ふかしにとどめるつもりが朝まで読書してしまったのだった。その次の日の夢と来たら、琴夢の暴走のせいで悪夢に近い状態だった。
そのとき、琴夢が私のことをずっと待っていて、ずっと私のことを想っていてくれたことを知った。私からすれば、眠っているときにだけ会えるただの空想上の友達に近いものだったが、その瞬間琴夢は私の中で、はっきりとした「友人」となった。
彼女も私と同じように、何かあれば悲しむし、不安にもなるし、嬉しければ喜ぶのだ。
だから、
「大丈夫だよ、明日もちゃんとくるから」
「・・・ほんとだね? 約束だよ、詩乃」
私が現実世界に戻るときすなわち目覚めるとき、琴夢の話によれば私は光になって消えていくのだそうだ。なんとも不可思議な話である。
正直、別れ際の琴夢の顔と来たらとんでもない顔だ。涙を無理やり我慢しているせいで、端正な顔立ちがくしゃくしゃになってしまっている。普段は励ます側だけど、なんだかんだで琴夢もさびしがり屋なのだ。私は琴夢の頭を撫でてやって、その細い肢体をぎゅっと抱きとめた。急速に眠りに落ちていくのを感じながら。
目が覚めると、私はただの少女。あの真新しい服なんてもう着てはいなくて、普通のパジャマ姿だ。しかし、あの服が無下にされたわけではない。次に眠ったときにしっかり受け継がれるのだから。
私はベッドから降りて時間を確認する。7時ちょうど。
今晩は、いったいどんな夢かしら。なんて思いながら、私は机の上に置いてある夢日記を開き、ペンで夢の内容をさらさらと書き記していった。
私の夢は、どうやら人に言わせるとおかしいらしい。私は夢に落ちると、必ずある場所にいるのだ。中世ヨーロッパのような、白い石畳の街。そこで私は、肌触りのいい、フリルのたくさんついた豪華なワンピースを着て、街の中心の噴水に面したベンチに座っているのだ。
・・・あぁ、眠くなってきちゃった。もう寝ようかしら。
夢に落ちる、この感覚さえ私は正確に記憶している。無論夢の展開は毎回ある程度は違うのだが、噴水による細かいしぶきを受けながらベンチに座っている場面から必ず始まる。
おかしなことに、夢の中の私と現実の私は寸分たがわず3D化されコンピュータの世界に入ってしまったような感じでもある。違うところといえば、身につけているものくらいか。現実世界の私は、夢の中の私のように豪華な服を着ることはないし、夢の中の私は、現実の私のように長い金髪を銀のリングでまとめたりはしない。まあ後者の場合は服に合わせたコーディネイトなのだろうから、違いとは言えないのかもしれないけれど。
そして「私たち」は、同じように成長してきた。生まれた頃の赤ん坊のときの夢の記憶はさすがにないけれど、4歳か5歳くらいから夢日記をつけているから、少なくともその頃から私は同じ夢を見ていることになる。正確には同じ夢というわけではなく、同質の夢とでもいうべきものか。ともかく、夢の中の私は現実の私が成長するに従って同じように成長してきたのであった。
・・・ほら、考えているうちに私はもうベンチに座っている。現実世界の季節とはリンクしていない、いつでも暖かな日差しが私を迎える。背後で轟音をたてながら落ちる水からのしぶきが、首筋に降り注いで涼しくさえある。そして、私はいつもここである人を待っている。・・・彼女、だ。
「しーのっ」
「あっ、待ってたんだよ!」
私を迎えにくるその人の名前は、琴夢。風景に似つかわしくない、日本人の名前。
やや黄がかった翠の透きとおるような美しい髪に、少し低めの身長。碧い瞳の目は滴りそうなほどの光沢を湛え、まるで宝石のような美しさを醸し出している。そして、この人は私と同い年・・・夢の中で成長する人だった。
――私たちは友達なのか?
答えは、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
――じゃあ他人か?
答えは、それはない。
恐ろしく曖昧な世界に、私と彼女はいるのだ。
琴夢が、私の隣に腰掛ける。私に体重を預けるようにして寄りかかり、長い髪をさらっと後ろに流して空を見上げる。雲ひとつなく真っ青に透きとおった空。いつもと変わりない、空。
「ねぇ」
琴夢が口を開く。
「なぁに?」
「今日は、何しよっか?」
「うーん・・・」
決定権は、ほぼ隔週くらいのペースで入れ替わる。今週は、私に決定権がある週だった。
「そうだねぇ、ウィンドウショッピングとか」
「いいね、そうと決まったら早く行きましょっ」
適当に言ったことだったが、琴夢は毎回喜び勇んで私の提案を受け入れる。したがって私も、彼女の提案を笑って受け入れる。どちらかが笑うことをやめたら、きっともろくも崩れ去ってしまう微妙な関係だった。
彼女も、私と同じようなワンピースを着ている。靴はハイヒールではないが、それでも割と高級そうな美しい革靴だった。たったった、と小気味いい音を立てて、琴夢が街の商店街へと走り出す。私も置いて行かれるまいと、同じような小気味いい音を立てながら走りだした。
「うわぁ、この服もいいかも」
琴夢は、服を選ぶのが好きだ。服と結婚してもよさそうなくらい服が好きだ。
「ねぇ詩乃、あの服私に似合うかな?」
琴夢が指さしているのは、ある服屋のショーウィンドウだった。金の縁取りがついたフリルだらけの白いスカートと、裾が長く襟付きの白いシャツに、その上から羽織るための水色のカーディガンのような柔らかそうな服がセットになっていた。全体的に薄い色調のため、琴夢の翠の髪ともよく合いそうだ。
「・・・うん、すごく似合うと思うよ」
「やっぱり! ところで詩乃は欲しい服ないの?」
もちろん私は自分に似合いそうな服を探している。しかし、持前の童顔と黄色に近い金髪のせいで、服に負けてしまうようなパターンが多いのだ。まるで服に着られているよう、とは私のためにある言葉なんじゃないかって思うくらい。
「うーん、ほしい服はいっぱいあるけど、似合うかどうかが問題なの」
私は素直にそう述べる。一瞬琴夢はしまったという表情を浮かべたが、すぐにそれを引っ込めて高々と宣言した。
「じゃあ、私が今日中に詩乃に似合う服を探してあげる!」
屈託なく笑う琴夢を見ていると、この人ならやってくれそうだという気持ちが不思議と沸き起こってくるのだった。
「ほーら、これなら詩乃にだって似合うわ。グッジョブ私!」
テンションの高い琴夢に対し、私は結構冷血で冷めた思考をする人間だった。それでも、人の好意を甘んじて受け入れられないほど馬鹿ではないし、恩知らずでもない。私は琴夢が選んでくれた服を店で買い求め、更衣室を借りてさっと着替えた。
その服は素晴らしかった。今まで着ていた服もかなり肌触りが良くてきれいな服だったけど、これに勝るものではなかったと思う。
明るい緑を基調としたチェック柄の上下セットで、ゆったりしたものだった。背中が開いていたり、胸元が大きく出たような派手なデザインではなく、一般庶民用という質素な感じが、私を引き立たせてくれるのだそうだ。ただし材料は一級品だし、そもそもこの街には庶民などいはしない。誰もが高級品を買い求め、豊かな暮らしを営んでいるのだから。
この服を選んでくれた琴夢はというと、隣の店でさっき自分で発見した服を買っていた。よっぽど気に入ったのだろう。ウィンドウショッピングといいながら彼女が服を買い求めるなど、滅多にないことだ。
店から出ると、琴夢も服を着替えて店から出てきたところだった。タイミングの良さにお互い笑い、そしてまた街を歩きだす。
「似合ってるよ、詩乃」
「琴夢、やっぱり綺麗だなぁ」
私がよっぽど羨望のまなざしで見ていたのだろうか、彼女は顔をそらすと、ポケットから何か出した。見せてもらうと、真鍮製の懐中時計。
「さっき服のついでに買ったのよ。ちょっと重たいけど、きっと詩乃が使ってたら似合うし、様になると思うのよね」
私は、その懐中時計を開いてみる。蓋の裏には写真が入るように小窓が設けられていて、見ればだいぶ前に撮影した、私と琴夢の写真が入っていた。にっこり笑った幸せそうな過去の私たちの顔を見て、思わず現在の私もにっこりと笑ってしまう。懐中時計は、夕方の4時過ぎを示していた。若干、心臓の鼓動が痛い。
「そろそろ、お別れの時間かしら」
琴夢が残念そうに言う。その声に、ずっと懐中時計に向けていた視線を琴夢に戻すと、不意打ちが来た。
――口同士が触れる程度の、キス。
「・・・っ!」
いつも行っている、別れの儀式みたいなものだ。今更恥ずかしがるほどのことじゃないと自分でも思うが、やっぱり頬が赤くなるのは止めようがない。顔を両手で覆うと、今度は、
「ほーら、悲しそうな顔しないの」
誤解されたらしく、琴夢が笑ってみせる。両手を離して琴夢の方を向いたが、その顔にも、しばしの別れへの悲しさが含まれていた。
「ありがと・・・」
無理やりその二つの意味を持つ一言だけを紡ぎ、私たちは無言でベンチに向かう。
そう。時間になると、私たちはベンチに吸い寄せられるように戻ってきてしまう。抗いがたい力で、物理的ではない不思議な力で引っ張られているかのような・・・。
「詩乃」
「ん?」
ベンチに腰掛けると、琴夢が私の肩に頭を預けてきた。身長も座高もわずかに私の方が上なので、肩に乗っかったりはしない。お互いまだ買ってから半日しかたっていない真新しい服に身を包み、こうして座っているのは、ほっと心の安らぐ時間だった。
今日一日何をしたのかを、頭の中で反芻する。ベンチに座っていると、いつも通り琴夢が来たこと。流れでウィンドウショッピングをすることになり、商店街へ繰り出したこと。何故か予定が変更になり、結局ショッピングになってしまったこと。・・・そして、琴夢からもらった、真鍮の懐中時計。きっと、宝物になる。
「詩乃、この前みたいにここにいない日があったら、私悲しいんだからね・・・」
「・・・うん」
私が現実側で徹夜でもしようものなら、夢を見ることがないため琴夢が困るということは、だいぶ前に知った。10歳頃だったろうか、私はある分厚い本に綴られた物語に夢中になり、夜ふかしにとどめるつもりが朝まで読書してしまったのだった。その次の日の夢と来たら、琴夢の暴走のせいで悪夢に近い状態だった。
そのとき、琴夢が私のことをずっと待っていて、ずっと私のことを想っていてくれたことを知った。私からすれば、眠っているときにだけ会えるただの空想上の友達に近いものだったが、その瞬間琴夢は私の中で、はっきりとした「友人」となった。
彼女も私と同じように、何かあれば悲しむし、不安にもなるし、嬉しければ喜ぶのだ。
だから、
「大丈夫だよ、明日もちゃんとくるから」
「・・・ほんとだね? 約束だよ、詩乃」
私が現実世界に戻るときすなわち目覚めるとき、琴夢の話によれば私は光になって消えていくのだそうだ。なんとも不可思議な話である。
正直、別れ際の琴夢の顔と来たらとんでもない顔だ。涙を無理やり我慢しているせいで、端正な顔立ちがくしゃくしゃになってしまっている。普段は励ます側だけど、なんだかんだで琴夢もさびしがり屋なのだ。私は琴夢の頭を撫でてやって、その細い肢体をぎゅっと抱きとめた。急速に眠りに落ちていくのを感じながら。
目が覚めると、私はただの少女。あの真新しい服なんてもう着てはいなくて、普通のパジャマ姿だ。しかし、あの服が無下にされたわけではない。次に眠ったときにしっかり受け継がれるのだから。
私はベッドから降りて時間を確認する。7時ちょうど。
今晩は、いったいどんな夢かしら。なんて思いながら、私は机の上に置いてある夢日記を開き、ペンで夢の内容をさらさらと書き記していった。
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プロフィール
HN:
詩乃
年齢:
31
性別:
非公開
誕生日:
1993/03/14
職業:
専門学校生
趣味:
SS執筆、ゲーム、Twitter
自己紹介:
【詩乃】
趣味でSSを書いてます。
恋愛の形としては、そこに愛さえあればどんな組み合わせでもいいと思う。
・・・という理念の下、創作活動を行っております。
趣味でSSを書いてます。
恋愛の形としては、そこに愛さえあればどんな組み合わせでもいいと思う。
・・・という理念の下、創作活動を行っております。
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